2012/02/17

「銀座」

ちょっと前の話になってしまうけど、昨年11月、
長友啓典さんが発行していらっしゃる読むデザイン誌「クリネタ」から、
アンケートに答えるという機会をいただいた。
このアンケートは、毎回出されるひとつのお題に、
各界のソーソーたる人達が答えるという、この雑誌の名物コーナーのひとつで、
豪華なメンツの中に名前を加えさせていただいて、実に光栄なことである。

で、アンケートのお題は「銀座」。

銀座と言って思い出すのは、、、と、
たらたら文章を練ってはみたのだが、、、

ところが、アンケート回答の規定は200文字以内。
ぜーんぜん入りきらなくて、大幅に内容をカットして無理矢理制限字数に押しこみ、先方へと提出した。

さて、その大元の原稿を、このまま闇にホオムルのもナンなので、ここに載録してみることにした。
私にとって「銀座」とは、、、、、

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「銀座で思い出したハズかしいラップの話」

若い頃ってのは、ハズカシイことの塊だったりする訳だけど、
銀座と聞いて思い出したそんなハズカシイ話をひとつ。

30年ほど前、
渋谷や新宿あたりの山手線のひだりっ側ばかりで遊んでいた僕にとって、
銀座という街は、ほとんど縁のない所であった。
どちらかと言うと、なんだかカッコ付けた退屈な大人の街、
というのが、僕が持っていた銀座のイメージだった訳だが、
裏を返して言うと、ビンボーでパンクな僕のような若者が
そうやすやすと馴染みになれそうな所ではなかったのだ。

さて、そんな僕が銀座にちょくちょく行くようになったのは、
当時、並木通り6丁目にレコーディングスタジオがあった為か、、、。

漫画家、イラストレータとして仕事を始めて数年、
その頃の僕には音楽制作の仕事というのも、幸運な事にちらほらとあって、
その折によく使わせてもらっていたのが、そのレコーディングスタジオ
「スモーキースタジオ」だったのだ。
(このスタジオはCharのホームグラウンドとして作られた伝説のスタジオ、
残念ながら現在ではもうないらしい)

ヒップホップ黎明期の立役者ビル・ラズウェルのプロデュースで、
日本語ラップ「TYOロック」をレコーディングをしたのも、そのスタジオだった。
なぜに、ニューヨークの大物ミュージシャンと、
名もない日本のイラストレータが一緒に音楽制作をしたのかは、
今となってはあまりにも謎が多すぎてよくわからないのだけど、、、、、
とにかく、舞い込んだビッグチャンスに僕としては無い知恵を絞りまくって楽曲を作り上げた。

タイトルは「TYOロック」
これから日本を訪れようとする外国人に向けて、
トンチンカンな東京案内を繰り広げるというラップミュージックだ。

知恵を絞った割に出て来たのがこの程度てのが、もうすでにかなり恥ずかしいのだけど、
それでも、こういう間違った偏見日本紹介ラップが
ニューヨークのデスコとかで流れたりするとそりゃ面白かろうという、ひとつの目論みではあった。
(実際、アメリカ発売される予定だった。残念ながら実現しなかったけど)

そして、その歌詞には、前述のビンボーでパンクな若者だった僕が
違和感を感じながら通った銀座という街のイメージも、多分に織り込まれていたように思う。

「まずは銀座は日本のパリだよ、並ぶガス灯石畳。
行き交う人たちゃシックでオシャレよ
ちょんまげヘッドにカンサイのスーツ。」
と、始まるこの曲、、、。

うーん、やっぱり、かなりハズカシイですね。
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以上が原文。ぜんぜん長いじゃん。
これをチギッては投げチギッては投げて無理矢理押し込んだ200文字拙文、
これが掲載された「クリネタ」2011年冬号(16号)は現在発売中です。
http://www.crineta.jp/

で、そうこうしてる間に次号のアンケートもやって来た。
次号の特集は「経済」とのことで、アンケートは「お金の愚痴を聞かせてください」。
むむむ、、、これも200文字じゃ、
とーてー、収まりそうにないねえー。

2012/01/22

なんてん おもと ろうばい

南天の赤い実ももうだいぶ
万年青の赤い実も落ちた
鳥が食べた
黄色は蝋梅
名の通り蝋細工でこさえたみたい
いい匂い
庭で一番乗り花を咲かせている
そしていい匂い

2012/01/02

新春のご挨拶

2012年、明けましておめでとうございます。
昨年はいろいろありました。
本年が皆様にとって(もちろん我々にとっても)良い年でありますように。

で、今年の年賀状。
図柄は「青鷺男紅葉」。

本年も何卒よろしくお願いします。

2011/12/02

12月の思い違い

トップページの画像を更新。
「かがなべて、よにはここのよ、ひにはとをかを」

こうして日々を数えてみると、夜では九夜、日では十日にもなる、、、
みたいな意味か。

語呂がよかったからか、なんとはなくこの句を長いことおぼえていて、
たまに心の中でつぶやいてみたりしていた。

若い頃読んだ詩集で目にしたことがあるような気がしていたので、
てっきり金井美恵子の言葉だと思い込んでいた。
(あやふやな記憶)

恋する乙女が窓辺に佇み、
「ああ、あの人に会えない日々がこうして過ぎてゆく。
もう、夜には九夜、日には十日も経ってしまった、、、。」
みたいなイメージをなんとはなく、頭の中に描きながら、、、。
(いーかげんなイメージ)

でも、全然違ってた。

正しくは日本書紀、ヤマトタケルの歌にかえした歌であるという。

日本武尊(やまとたけるのみこと) が問う
「新治(にひばり)筑波(つくば)を過ぎて 幾夜(いくよ)か寝つる」
御火焼翁(みひたきのおきな)、それに返して
「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」

ちなみに、これが連歌の起源とな。

天皇の命令でエゾ制圧に行って来たタケル皇子、
大暴れして帰る道すがら、
「ああ疲れた、やっと新治と筑波(茨城)過ぎたけど、
もお、どんだけたったんだ?」
たき火係のジジイすかさず
「そりゃ親方、九晩十日でさあ」
みたいな感じか。

全然、恋する乙女じゃなかったね。

という事で12月。
ちなみに、上記の歌は、12月とも
てきとうに描いた鳥の絵とも、なんの関係もない。

2011/11/22

ありがとう Keith kenniff

テレビを見ていたら、CMから聞き慣れた音楽が流れ出してきてはっとした。
驚いたのは、それがKeith kenniffの「Goldengrove v2」だったからだ。
この曲はKeith kenniffが今年の1月頃ネットで発表した曲(SoundCloudで公開した)。
1分半くらいと短い曲ながらも、マイケル・ナイマンや
フィリップ・グラスを可愛らしくした感じの曲調で、
またヤン・ティルセン(アメリ!)もばっちりと彷彿とさせ、
この手の叙情派ミニマル音楽が好きな人にとっては、たまらない出来上がりとなっている。

広告の主はiPhone4sだ。
アップルのCM音楽のセンスがいいのは、今に始まった話ではないが
それでもKeith kenniffの起用にはちょっとドキドキしてしまった。


元の曲はこちら。
  Orchestral - "Goldengrove v2" by unseenmusic


Keith kenniffはアメリカ、ポートランドのエレクトロニカ系ミュージシャン。
様々な名義やユニットを使い分け、多才な音楽作品を生み出し続けている。
アンビエント感ただようエレクトロニックサウンドのHelios名義が一番有名か。
他に、ポスト・クラシカルのフィールドに入るであろうシンプルなピアノ作品を生み出すGoldmund。
奥さんのHollie Kenniffと組んだMint Julepでは、
彼女のボーカルをフィーチャーしたシューゲイザー的エレクトロポップ。
また、Keith kenniff本名ではサウンドトラックなども手がけている。
実に多才ですね。

さて、Keith kenniffと言えば忘れてはならないのが、
今年6月に発売されたコンピレーションアルバム「For Nihon」だ。
彼は3月11日の日本での地震直後、すぐさま「Nihon」というピアノ曲をネットで発表し、
世界に震災への支援を広く呼びかけた。
これだけても素晴らしいのだが、
さらに彼は妻のHollieと共に様々なミュージシャンに呼びかけ、
このコンピレーション「For Nihon」を完成させ、まずネット配信、それからCDでの発売を行った。
参加したミュージシャンは世界中のアンビエント、エレクトロニカ、ポスト・クラシカルの音楽家達38組、
Rhian Sheehan、Dustin O'Halloran、Ryuichi Sakamoto、Max Richter、
Olafur Arnalds、Peter Broderick、Alva Noto、、、等など。
もちろん、Keith kenniff自身も前述の様々な名義で参加している。
このアルバムの収益金は、ニューヨークに設立されたNPOジャパン・ソサエティーの
Japan Earthquake Relief Fundに100%寄付される、とのこと。

震災のチャリティーで出来上がったというのが、なんとも皮肉ではあるが、
それにしても、この「For Nihon」
文句なしに素晴らしいコンピレーションアルバムである。

どの曲もどの曲も、
あたたかく、やさしく、そして美しい、、、。

ありがとう。Keith kenniff。

2011/11/18

昔のイラストの話

昨日、番組制作会社から電話がかかってきた。
なんでも1983年6月28日号の週刊プレイボーイ誌の記事を番組内で紹介したいとのことで、
その放送許諾の依頼電話であった。
記事の内容は「童貞喪失レポート」というものであり、
そこに僕がイラストをつけているらしい。
へー、そんな仕事してたのかあ、、、
まったく、覚えていないけど。
そう言えば、あの頃は、週刊プレイボーイや、ホットドッグプレス、
求人タイムスやギャルズライフ、SFアドベンチャーや宝島、微笑に小説現代、、、と、
実に様々な雑誌に、実に無節操に、実に雑多なカットやイラストを描いたもんだ。
、、、と、しばし思い出にふける。

さて、番組は「ジョージ・ポットマンの平成史」という
テレビ東京の教養番組風パロディー情報番組らしい。
これも、まったく知らない。

だが、別に断ることでもないと判断、了承しておいた。

放送は来週26日、もしくは再来週3日の夜になるとのこと。
ふーん。

で、とりあえず手元にあった80年代当時のイラストをひっぱり出してみる。
掲載誌は忘れてしまったが、わりと固めの雑誌で本の特集に入れるカットだったと思う。
ちなみに、これはけっこーマジメなタッチだけど、
ふざけたモノや、雑でヘタッピなものを、恐れも知らずいっぱい描いていた気がする。
放送されるのは、多分、そおゆうの、、、、だと思う。

先方の「クレジットを出しましょうか?」との配慮に、
即座に「結構です」と答えてしまった。

2011/09/15

Top Page Image Update

 ひさしぶりにトップページを更新。

2011/09/12

この家はむかし

この家は昔、大正末期から昭和初期に建てられたものだ。
東京で小さな会社を経営する人物が、ここに住む親戚から土地の一部を譲り受け
別荘として、この小さな家を建てたのだという。

一宮という土地はかつて「東の大磯」と称され、
明治後期から昭和の初期にかけて、各界名士の別荘が数多くあったらしい。
政界財界のお歴々が競って別荘を作り、そんな場所に惹かれるように
漱石、芥川などの文人らも集まってくる。
また有名人たちにあやかろうと一般の人も多く夏の観光に訪れる。
東京からそれほど離れていないわりには、
おいしい空気と、青松白砂がひろがる風光明媚な海岸。
それに何より、のんびりとした土地柄が当時の人々を惹き付け、
ちょっとした文化的なリゾート地として知られていたのだという。

さてそんな時代、一宮といってもその一番南の端っこ、
別荘地エリアからは遠く離れた、やや内陸よりの場所にこの家は建てられた。
(当時は一宮ではなく隣の東浪見村)

それでも海まで半里、散歩で2、30分とほど近く、
長閑な田園風景を見下ろす高台となっていて、
裏に控えた竹林からは夏でも涼しい風が吹き抜け、
多少は別荘としての立地条件はあったのではないかと思われる。
また、都市部や分譲地では珍しくもないが、
土地がふんだんにあった当時にしては珍しい「旗竿型の敷地」、
つまり往来から一本私道を入って行った先に広がるこの土地の形状は、
狭いながらも完全なるプライベート空間が保たれていて、
これもその条件のひとつを満たしていたのではないかと思う。
一説によると件の社長は、ここにお妾さんを託っていたという話もあるが、
今となってはその真偽は分からない。
ただ、さもありなんと思わせる立地であり、
さもありなんと思わせるこの家の佇まいである。

玄関の三和土を上がった所が和室四畳半の応接間、押し入れを挟んでその裏に台所。
玄関からまっすぐ伸びる廊下から左に八畳と六畳の続きの居間。
その居間の周りを東南西にぐるりと回り廊下が取り囲んでいる。
南側の廊下は庭に面した縁側になっていて、
腰をかければ正面に趣向を凝らした庭を眺めることができる。
六畳の部屋には形通りに、床の間と違い棚が設えられ、
その間の聚落壁に開けられた「狆潜り」は松の意匠でくり抜かれている。
(ちんくぐり=床の間とその隣の床脇を仕切る壁に開けられた明かり取りの抜け穴)
この家では松の意匠が玄関戸の上の明かり取りにも使われていて、
このあたりの遊び心は、やはりこの家が実用本意のものではなく
別荘として建てられた所以であろう。

応接間と勝手の間には、狭くて急な階段があり、
それを使ってひと間だけの二階へと上る。
部屋は六畳の洋室になっており、正面の壁には西洋風腰板が貼られている。
東と北の壁の中央に開けられたこれも洋風の縦長窓からは、
周りを囲む竹林を眼下に見下ろすことが出来て、風通しもすこぶる良い。
また、この六畳間の天井は、よく神社仏閣に見られるような、
四隅にアールを持つ折上格天井(おりあげごうてんじょう)になっていて
和洋折衷の美、なかなかの趣きを見せている。
これも実にこの家らしい所だ。

さてこの辺りが、この建坪二十一坪の小さな家の
オリジナルな原形といったところか。

その後、年月と共にこの家には様々な建て増しと補修が加えられ、
徐々にその形を変えていくことになる。
庭先に独立していた風呂場は、台所の横に増設された屋内に収まり、
廊下の西側には、窓を潰しあと一棟の居室が増築された。
玄関脇には電動シャッターを持つ車庫も設置された。

持ち主は施主の社長から、大戦前にある若い夫婦に引き継がれた。
不幸にもこの家を購入した新婚間もない主人は、
あまりここに住むこともなくなく戦争から帰らぬ人となった。
しかし未亡人はその後もこの家で主人の両親と暮らし、
忘れ形見である一人息子を育て上げたと言う。
その間に、先の改築がこの家に加えられていったものと思われる。
やがて両親は他界し、子供は独立していった。
そして長い間、未亡人の一人暮らしが続いた。
しかし、ついに老婦人は施設に居を移す事を決意、
七十年近く暮らしたこの家を手放すことにしたのだった。

さて、そんなこの家にばったりと出会ったのが我々夫婦である。
房総での暮らしを始める為にとりあえず賃貸物件を探していた我々は、
あまりにも望んだ物件がないので、がっくりと肩を落として帰る道すがら、
偶然、この家が売り出されているのを見つけたのだった。
地元の不動産屋によって売りに出されて、わずか二日目の事であった。

初めて見たこの家は、
外壁を安っぽい木目模様のブリキで被われていたり、
あきらかに土台が傾いでいて、そのせいであちこちの立て付けが悪かったり、
周りの樹木がうっそうと生い茂り、部屋がじんめりと薄暗かったり、
場当たり的な補修を重ねた為にちぐはぐな壁の色だったり、、、、
と、様々なネガティブな要素はあったものの、
それでも、この家の佇まいが醸し出す不思議な魅力はなんとも言えず、
つまり我々の目には、とてもチャーミングな家に映ったのだった。
若干は悩んだものの、次の日にはこの家で暮らす事を我々は決意していた。

さて、そんなこんなでこの家に住み始めて一年半が経つ。

我々は変に補修された部分を、なるべくこの家本来の形にもどしたり、
それとは逆に大幅に現代的にリフォームしたりと
自分たちの使いやすいように変えていった。

たまに庭先に出て、この家を眺めてみる。
外壁を塗り直したいなあ、、、
広いデッキを作りたいなあ、、、
あそこの庭木は整理した方がいいな、、、
といったああしたい、こうしたいが、湯水のように湧いてくる。

家人には本当に申し訳ないが、元来行き当たりばったりの性格であるからして、
この家で、この先いつまで暮らすかなど、正確なところは分からない。
ここに骨を埋める覚悟みたいなものも、正直なところ毛頭ない。
それでも、ここしばらくは、
この家をちょこちょこといじりながら、
暮らしていこうかな、などと今更ながら思っている。

2011/06/21

てっぺんかけたか

ひと月ほど前から、よく耳にするようになった鳥の鳴き声がある。
まるでリバーブをかけたようによく響く独特の節回し、
そのせいか、わりと空の高いところで聞こえる気がする。

その声がいつものように聞こえてきたある時、
ふと、なにかが腑に落ちた。
ああ、これが「てっぺんかけたか」か、、、。
頭の中に、昔読んだマンガのひとコマがよみがえった。

「てっぺんかけたか」と鳴く鳥がいる。
その事を僕が知ったのは昔読んだ楠勝平のマンガからだった。
たしか70年代はじめ頃の「COM」に掲載されていた短編作品のひとつだったと思う。
今となっては、そのストーリーもほとんど覚えていないのだが、
空飛ぶ鳥に「てっぺんかけたか」の鳴き声が大きく描かれたそのページだけは
何故か強く印象に残っている。

そこで、記憶を確かめるためにも、昔の「COM」をもう一度読んでみたいと思ったのだが、
いかんせん僕のマンガコレクションは、
引っ越しの際に段ボール詰めされ倉庫の奥に仕舞い込まれたまま、、、
残念ながら断念した。

楠勝平は江戸時代を舞台に、そこに生きる庶民の悲喜こもごもの暮らしぶりを描いた作家だった。
生や死、悲しい事や可笑しいこと、良い事や悪い事、人情や裏切りや失敗、、、
それらに彩られた様々な人生が、その作品には淡々と描かれていた。
洒脱なその作品を読むたび、当時の僕は子供ながらも、ある種の無常観を感じていたように思う。

そしてもうひとつ、強く氏の作品から受けた印象が「粋」であった。

軒先を見上げると、空を高く鳥が鳴く。
見上げる人々は季節の到来を知る。
「てっぺんかけたか」

この描写にも、そんな「江戸の粋」を感じて、きっとそれが強く心に残ったに違いない。
もちろん当時の僕には、そんな「粋」という概念はあまり理解出来てなかっただろうけど、、、。

楠勝平、「COM」や「ガロ」で活躍したこの不世出の作家は、
1974年、30歳という若さで夭逝した。
という事は、当時僕が読んでいた作品群は20代後半に描かれたものになる。
うーむ、よくその若さで、あんな作品が描けたもんだ、、、と唸らずにはいられない。

さて、話を「てっぺんかけたか」に戻すと、、、
調べてみると、声の主は「ホトトギス」。
あの「鳴いて血を吐くホトトギス」「正岡子規の不如帰」「鳴かぬなら殺してしまえ、、、」
のホトトギスであった。

ははあ、なるほど、
この辺りには竹薮が多いし、そこを住処とするウグイスも多い。
ウグイスの巣に托卵するというホトトギスにとっても絶好の棲息地なのだろう。

「ほーほけきょ」と春を告げるウグイスが鳴き、しばらくしてから
「てっぺんかけたか」のホトトギスが初夏を告げる。

「うす墨を 流した空や 時鳥(ホトトギス)」一茶

梅雨があければ、もうすぐ夏だ。

2011/06/20

イラスト作品を追加しました

先日のコミック追加に引き続き、今度はPortofolioページにイラスト作品を追加しました。
ここ最近(と言っても1、2年なんだけど)の作品を追加しています。
ぜひ、ごらんください。
>Yla Portofolio/illustration