2007/07/02

ありがとうございました


撤収も終わって一段落です。

また、なんかやりますんで、皆さん懲りずにまた遊びに来てくださいね。

2007/06/04

チーフタンズ

先日、bunkamuraオーチャードホールにおいて、チーフタンズのライブを見た。

チーフタンズは結成45年(!)というメチャメチャに息の長い、アイルランドのまさに国宝級バンド。
9度目の来日になるという今回まで、なぜだかずっと機会を逃していて、そのライブを見る事ができないでいた。
でもついに!やっと念願がかなって、その演奏をナマで聴くことができたのだ。
くーーーーっ!じつに感激である。

僕が、チーフタンズの音楽に初めて触れたのは、もう30年以上も前のことになるだろうか。
スタンリー・キューブリックの映画「バリー・リンドン」に流れる「アイルランドの女」の甘く切ないメロディーに強烈に魅かれたのが、最初の邂逅だった。
早速サウンドトラック(ちなみに、この映画音楽はその年のアカデミーを受賞した)を買い求め、
聴き続け、以来そのメロディーはずっと僕の頭の片隅に住みついていく事になる。
ところがその当時、アイルランド音楽やケルトミュージックに関する情報は、ほとんど全くという程得ることが出来なかった。
そんな訳で、僕がチーフタンズの存在や、それがアイリッシュ・トラッドと呼ばれる音楽だと知るようになるのは、その一年後、コアな音楽ファンのたまり場であり情報発信地でもあった輸入レコード専門店でアルバイトを始めてからの事だった。1976年のことだ。

たしか当時の情報では明確にアイリッシュ音楽というモノは独立しておらず、アメリカン・フォーク・ミュージックに対して、そのルーツとなる英国系伝統音楽としてひとつにまとめられ、総称して「トラッド」と呼ばれていたように思う。
伝統音楽をふまえつつも、エレクトリック楽器を使いロック寄りな表現をしていたフェアポート・コンベンションや、ジャズ系のペンタングルなんかも、このくくりの中に一緒にされていたと記憶している。
ま、そんな「トラッド」シーンの中で、チーフタンズこそが王道であり、主役であった。

さて、そんな感じでアイリッシュ・トラッドと出合った僕だが、チーフタンズ以外のミュージシャンもマメに聴きこんで、すっかりケルトマニアになってしまいましたとさ、、、といった感じで、このジャンルの音楽にのめり込んでいった訳でもない。
それどころか、その頃以後の、僕の音楽嗜好の変遷は、まさしく転がる石のごとくである。

ちなみに、その転がる石の軌跡をアバウトに追ってみると、、、。
バイト先のレコード店では、当初プログレ担当だった僕は、すぐにパンクにガツンとやられ、テクノに没頭し、スカに小躍りしながら、漫画家やイラストレータとしてのキャリアをスタートさせることになる
(今思うとかなりハズカシイが、テクノな漫画家など呼ばれた、きゃっ!)。
以後、パワーポップ、ニューロマンチック、エスノ、ダブ&レゲエ、ラップにスクラッチにヒップホップ、
サイケにファンクにトランス、ハウス、アンビエント、、、等などなどブラーブラーブラー。
じつに様々な形容詞とジャンル名(?)を冠されて、現れては消えていった様々なスタイルの音楽に、僕は次々に熱中していった訳である。

閑話休題、ライブの話に戻すと、、、。

始まるや否や、僕はもう感激のあまり泣きそうになってしまった。
「おお、チ、チーフタンズが目の前で動いてるううう、ありがたやありがたやああ、、、」状態。
その感激は早くも、前半中ほどでピークを迎えた。
パディ・モローニが奏でるホイッスルによって「アイルランドの女」が演奏されたのだ。
うーーーん、30数年ものあいだ、熱い思いを抱きつ続けてきたあの音楽が、まさしく今目の前で演奏されているうぅ。くわあぁぁー、たまらーん。

改めて思う。 僕が様々な音楽を追い続け、あてもなくさまよっていた「なん十年」ものその間、、、、
その間チーフタンズは、ずっとチーフタンズだった。
彼らは、彼らの音楽をずっとひたむきに続けていたのだった。
当たり前のコトかもしれないが(当たり前かな?)その事自体が、ものすごく得がたいことと痛切に思う。
ああ、ほんとにチーフタンズがいてくれて良かったなあ、、、、しみじみ、、、。
まさしく、そんな感謝の念で胸をいっぱいにさせられたコンサートであった。

2007/03/04

冷蔵庫の話

冷蔵庫が壊れてしまった。突然なんの前触れもなしに故障してしまった。ある日、いつも通りペットボトルの水を飲んだら、あまり冷えていなくて少し不思議に感じてはいたのだが、次の日には冷凍食品がすべて溶けてしまっていて、それはもう冷蔵庫とは呼べないない只のうすらでかい箱になってしまっていた。あらら困った。早速修理の人に来てもらう。修理人は医者が注意深く患者の脈をとるように、冷蔵庫の脇にそっと手を当てしばらく様子をみてから断言した。
「これは、もうダメですね。完全にイカれています」
多少は予想をしていたのだが、一応の抵抗をしめしてみる。
「えーと、それは、つまり、もう寿命ってことですか?」
「その通りです」
「もう直らない、、、と」
「その通りです」
思えばこの冷蔵庫は、結婚して一年後、独身時代のアトリエタイプのワンルームから少し広めのマンションに引っ越した際に購入したものだから、かれこれもう13年前のものになる。修理人によると世の中のだいたいの冷蔵庫の寿命は10年程度という事で、うちの冷蔵庫は、まあまあそれなりにがんばった方なんではないか、という事らしい。念押しに、言葉を選んでもう一度聞いてみた。
「それは、つまり、天寿を全うして、完全にお亡くなりになったという事ですね」
修理人は少し考えるふりをしてから、やがて我が意をえたりと深くうなずいた。
口のはしには、満足そうな笑みが浮かんでいた。

後日、渋谷の某大量家電販店。ずらりと並んだピカピカの冷蔵庫軍に囲まれて3時間以上あれこれ迷ってへとへとになっている僕達がいた。
僕はどちらかというと、家電などを買い求める際にそんなに迷ったりする方ではない。ある程度までは雑誌やネットで下調べをすまし、かなりターゲットを絞ったうえで売り場に赴き、そして最終的に実物を見て決断をくだす、というわりにきっぱりとした買い物のしかたをする方だと思う。でも、今回ばかりはそう簡単にはいかなかった。なんせモノがモノだけに、文字通り“大きな”買い物だし、十数年に一度しか買わないものである。言い換えれば、残りの人生であと何回、冷蔵庫を買う事があるか、というくらいの買い物なのだ。大きさ、サイズはだいたい決まったのだが、えーと、A社のものは大きさのわりに容量が、、、B社のものは野菜室と冷凍室の位置がこれまでと違うけど、、、C社のものは見た目がイマイチ良くないなあ、、、、、うーん、、、、。

思えば、冷蔵庫を買う時というのは多くの場合、それまでのライフスタイルの大きな変化の時、という事に他ならないのではないだろうか。親元から独立して初めてのひとり暮し、就職による生活の変化、結婚、出産、子供の成長などなどなど、、、、。もちろんエクストラとして離婚、病気、破産なども起こりうる大きな変化の一つだ。否応なく訪れるこれら人生の節目節目で我々は、その変化に見合った冷蔵庫を買い求めることになる。事実売り場ではこれから新生活を初めるようなピカピカの若者や、二人の世界にどっぷり浸っているような新婚さんが、熱心にドアを開け閉めしたりして品定めしていた。

さて、僕はと言えば、東京に出てきて最初に買った「4畳半西日のあたる部屋用の小さな小さな冷蔵庫」以来、何回めの冷蔵庫購入ということになるのだろうか、、、。あれからいろんな事があった。実にさまざま事が、、、、、と、これまで歩んできた過去が、無用に脳裏をよぎる。
あっ!いかんいかん。感傷に浸っている場合ではない。今はとにかく、新しい冷蔵庫の選択に集中しなければ。うーん、えーと、A社かB社かC社か、あれ?D社もありなのお??、、、。

それから一週間後、我が家の玄関前の上空に新しい冷蔵庫が宙づりにされていた。搬入すべき台所が2階にあるため、クレーンで吊り上げて2階の窓から入れなければならなかったのだ(一度持ってきてもらったが階段では登りきらず、仕方なくクレーン車を手配しなおした。やれやれ)。
迷いに迷って購入した冷蔵庫は、技術の向上によって容量こそ増えたものの、お亡くなりになった先代とはサイズ的にも色味も、ほぼ同一のものになった。もとの冷蔵庫置き場におさまったその姿はとても見慣れたもので、ドアを開けてみるまでとても買い替えたとは思えない、という感じだ。
前述の言でいうと、われわれのライフスタイルには、そんなに大きな変化はみられなかった、ということか、、、。良くも悪くも、ね。

という感じで人生の節目でもありうる冷蔵庫の買い替えが無事行われた。余談ではあるけれど、奇しくもその日は、我々の14回めの結婚記念日でもあった。

2007/01/05

あけましー

2007年 明けましておめでとうございます。

今は石川県の羽咋市に来ています。

羽咋っていうと、知ってる人は知ってると思うんだけど、「UFOの町」として知られる、日本では有数のUFOスポットです。僕も新年早々、宇宙人と交信して「家内安全、商売繁盛」を願おうかな、、、等と思って、ここに来ているのでありました。

、、、というのは、まったくのウソでイラテック2号サトコの実家に新年のご挨拶に来ているのでした。

つー訳で、皆様、本年もよろしくお願いいたします。
今年の僕の抱負は、このブログをマメにアップすることかな、、、?