2009/12/26

葡萄畑 プレゼンツ BANDA PLANETARIO

一週間近く前のネタで恐縮なのだが、12月20日に行われたライブのレビューログをひとつ。

10月27日新宿ロフトで行われたライブに引き続き、
BANDA PLANETARIOと葡萄畑のライブを見に行ってきた。
(バンドの解説や、その時のライブの様子などは、こちらのブログ「葡萄畑の夜」を)

この日のイベントは、和久井光司氏仕切りということで、浅草橋(!)にある小ぶりのライブハウスで行われた。
出演は和久井さんのバンド「the BMW」に、「葡萄畑ご一同様」、
そしてスペシャルゲストに「泉谷しげる」というラインナップ。
どうやら、10月のロフトで共演した和久井さんから葡萄に声がかかり、
11月和久井さんが音楽プロデュースを務めた「エレック唄の市2009」をきっかけに、
泉谷しげる氏が急遽、乱入参加という形になったらしい。
ちなみに、同じくロフトでの共演をきっかけに、BANDA PLANETARIOの紅一点バイオリン
「アッキー」こと秋久ともみちゃんは、「エレック唄の市2009」から泉谷氏のバッキングに参加している。
音楽家のつながりってのは、なかなかあなどれませんね。

まずはBANDA PLANETARIO登場。左からアッキー、吉井くん、あおちゃん、よっちゃん。

2度目のバンプラ体験。
前回のブログでも書いているように、どこかヨーロッパあたりのロードムービーを想い起こさせる
叙情的で牧歌的で、日向のぬくもり系で、酒場の片隅系なインストルメンタル・ミュージックの数々、、、。
うーん、やっぱ、グッドですね。
欲を言えば、数曲でいいから唄モノ、
それも、ちょっとこなれた感じの女性ボーカルなんかが入るとたまんないだろうな、、、と思わせる。
どっかにいないか、和製テレーザ・サルゲイロ。

続いてオリジナル葡萄畑メンバー、佐孝さん、本間くん、マイケルが加わり、葡萄畑2009に変身。
ドラムのマイケルがリハーサルが出来なかったらしく、いきなりドカドカ始まり、
メンバー一同あっけにとられる一幕もあったが、そこはご愛嬌。
なんせ、前回ロフトでは、ドラムがなくてダンボール叩いてたんだもんね。
そんな感じで始まったステージ、青ちゃんのぐだぐだMCをはさみつつ、いつものなごやかなムードで、微妙にもりあがり、
「お嬢さんおてやわらかに」「夕飯は御仕舞」など、数々の幻の名曲を披露した。
写真はアッキーの後ろに謎のアコーディオン弾き佐孝さん、吉井くんのギターネックで顔がかくれた本間くん、
ステージ奥でぜんぜん見えなかったマイケルがその後ろにいる筈、、、。

個人的には、僕がその昔、葡萄畑解散後のあおちゃん佐孝さんとやっていたテクノバンド、
「Metropolis」時代にもレパートリーにしていた隠れた名曲「ねじれ男」が、ものすごくナツカシうれしかった。
だいたい葡萄畑の存在自体が隠れているもんだから、
そんな彼らののレコードにもならなかった隠れた名曲となると、隠れてるは隠れてるは、
まるで重箱の隅をつっついても見当たらなくて、なんだ、ふたの裏にくっついてたじゃないの!
くらいのレアな曲である。
でも、ホント良い曲です。いつか、なんとか世に出ないかな、、、。

こんな感じの葡萄畑 プレゼンツ BANDA PLANETARIO、
次回のライブは来年2月、あおちゃんの地元、国分寺方面でやるそうです。

さて、イベント自体のトリを飾ったのは、当然、泉谷しげる氏。
唄の市の九段会館同様、カンレキをモノともしない暴れんボー!なステージを繰り広げたが、
なんせハコが小さいぶん、その破壊力は2倍にも3倍にも膨れ上がっていた。
こちらも、あー面白かった。

2009/12/24

Merry Christmas

メリークリスマス!

クリスマスなので、こんな写真を撮ってみました。

苔の芝生のおもちゃのサンタさん。
そりを従えお出かけです。

メリークリスマス。
星空の下、皆がみんなに、幸せがきますように。

2009/12/23

冬至に柚子湯と焼き穴子

田舎の母親から荷物が届く。
開けてみると、好物である焼き穴子が入っている。
軽くあぶって秘伝のたれをかけ、穴子丼にすると旨いんだよな、これが、と早くものどが鳴る。

僕の出身は兵庫県の姫路であるが、両親は現在、
その姫路市からもう少し西に行ったところにある、たつの市の海寄りの町に住んでいる。
そこから海沿いの道を車で20分ほど行くと、室津漁港。
いかにも瀬戸内の漁港らしい入り組んだ坂道に、昔ながらの民家が建ち並ぶ
なかなか風情のある小さな漁港町なのだが、ここの名物が、件の焼き穴子だ。
僕の好物であることから、前日さばいたばかりという、このイキのいい(?)焼き穴子を
母はよく送ってくれるのだった。ありがたいこってす。

さて、焼き穴子ばかりに目が奪われていたが、よく見ると包みにはその他に、
新聞紙にくるまれた黄色い球形の果実がごろごろと入っている。
なんですか?これは。
蜜柑より小さく色は檸檬、八朔をうんと小振りにしたような、、、、
そうです。正解はゆずでした。

おりしも昨日は冬至。
これでゆず湯をしなさい、という母心らしい、、、、、
再びありがたいこってす。

ウィキペディアによると、、、
「日本では、古来より冬至に柚子の湯に入浴する習慣がある。」
「冬至と柚子との関連はかならずしも明らかでないが柚子湯の習慣は銭湯の登場以後のことであり、
一説に湯治(とうじ)と冬至(とうじ)との語呂合わせで、身体息災であれば融通(ゆうずう)がきくとのこじつけであるという。」
とのこと。
湯治(とうじ)と冬至(とうじ)、、、融通(ゆうずう)と柚子(ゆず)と、、、あ、シャレなのね、もともとは。
日本の慣わしって、割とこういうこじつけテイストのものってよくあるよね。

とは言うものの、、、
日々寒さ厳しくなってくる折に、入浴剤効果のある柚子を浮かべたお風呂にゆっくり入り
「この冬、風邪などひきませんように」と願う、先人の知恵が活かされた
なかなかほのぼのとした日本ならではのしきたりには違いない。
いいですね、こういうの。

さて、という訳で、昨日の夜は
ありがたく柚子のお風呂をいただいた。
ライトグリーンの入浴剤もいれたので、色合いがますますきれい。
ゆっくり温まりながら、風邪のみならず、無病息災を祈った。

もちろん、穴子も美味しくいただいたのは言うまでもない。

2009/12/18

東京の夕景

久しぶりに自宅屋上にて、東京の夕景を眺める。

写真を撮ると雲に隠れて富士山もはっきりせず、
なにより、街の上面をびっしりと覆う電線と電柱が実にわずらわしい。

ついつい、この前まで過ごしていた彼の地での夕暮れを思い出してしまう。
むこおーーのお山まで遮るものもほとんどなく、
ある意味、脳天気に思えるほどすっからかんの空一面が、
刻一刻と色変わりしていく雄大さ、、、、。
だいぶ違うよねえ、、、。

さてさて、房総からの引き上げのバタバタもあり、すっかり更新が滞りがちでしたこのブログ、
ペースを戻してちゃんと更新していきますんで、よろしくっす。

2009/12/04

里の朝

おはようございます。
今日はちょっと早起きしたので、早朝の畦道を散歩してみました。
空を見上げると、こんな感じ。
昨夜の雨もあがり、まだ少し雲は残っているものの、今日はいい天気になりそうです。

それにしても、、、、空が青いなあ、、、。

、、、と、ツイッタのようなブログになってしまった。

2009/12/02

街のいちょう山のいちょう

先週、仕事の都合で青山に立ち寄った。
ちょうど、外苑の絵画館前のいちょう並木が見事な時期で、
「外苑いちょう祭り」というのをやっている。
太陽の光を通して真黄色になった並木の下をそぞろ歩く。
「まったくなんでもお祭りにしちゃうんだから、、、」とか言いながらも、
立ち並んだ屋台ブースで美味しいタイヌードルを頂いちゃったりして、ちゃっかりお祭りも堪能。
この「いちょう祭り」は、今年でもう13年目になるらしい、、、。

そう言えば、30年位前の話になってしまうけど、この近所に僕は住んでいて、
この絵画館前あたりも、お気に入りの散歩コースだった。
当然、この色づいたいちょう並木も見ている筈なのだが、
それが、こんなに綺麗だった、、、という記憶がどうにもない。
若い頃の僕に、色付いたいちょうを楽しむ余裕がなかったのか、、、、
それとも、いちょう並木も、祭りにあおられ、バージョンアップしたのか、、、。

ちなみに、これが地面に散りばめられたいちょうの葉たち。
きれいですね。

引いてみると、おお、いかにも、青山風、、、、おしゃれな絵だ。



数日後、とある場所で、そっくりの写真が撮れた。

こちらは千葉県、養老渓谷、出世観音前のいちょう。

引いてみると、、、、おお、向こうの山並みが移っていて、ちょっとだけど渓谷感が出てる。
左っ側には、神社の石灯籠も移っていて、和なムードを盛り上げてる。
これも、なかなか、きれいですね。


という訳で、この初冬に出会った、ふたつの黄色いいちょう。
街のいちょう、山のいちょう。
どっちもきれいですね。

2009/11/29

エレック唄の市2009

和久井光司氏からのお誘いで、九段会館で開かれた「エレック 唄の市 2009」に行ってきた。

「エレック 唄の市」と聞いて、「えーーっ!あの!唄の市をまたやるの!?」と、
ついイジョーなテンションで反応してしまうのは、、、
間違いない、そいつはあの時代の「フォーク者」(推定年齢50‐60余歳)に違いない。
かく言う私もそんな一人に違いなく、この知らせを聞いて一も二もなく
「むむむ当日は何を置いてもかけつけなくては、、、」と固く心に決めてしまったのだった。

エレックに関して、ちょっとだけ、つたない説明を、、、。
エレックレコードは1969年に創設されたインディペンデント・レコード・レーベル(76年消滅)。
つまり、インディーズ・レーベルの先駆的存在なワケで、
70年代初頭、若者を中心にフォークソング、プロテストソングの大ムーブメントが盛り上がりを見せる中、、
吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸などをかかえる、ムーブメントの中核的存在であった。
同じフォークソングの代名詞的なレーベルとして「URCレコード」があるが、
こちらは高石ともや、岡林信康、五つの赤い風船、加川良など、所謂関西フォークの多くを世に出し、
さながら、東のエレック、西のURCといった感じで、一大フォークブームを盛り上げていた。
で、そのエレックレコードが当時行っていた看板イベントが、
同レーベルのアーチストたちをメインの出演者に据えた「唄の市」だったのだ。

その伝説のコンサートが、なんと35年ぶりに蘇るという今回の「唄の市2009」。
出演者は泉谷しげる、古井戸の加奈崎芳太郎、生田敬太郎、佐藤公彦(ケメ)
ゲストにChar、中西康晴、浦沢直樹、和久井光司バンド、ザ・アウトロウズ。
唄の市そのものではなかったけれど、当時、このメインの出演者たちのコンサートを僕も何度か体験した。
それは、そう、ちょうど35年前、僕がまだ高校生だった時のことだ。
懐かしくないわけがない、、、、。

さてさて、そんな「唄の市」だったが、、、
その出演者のラインアップから、ある程度は予想してとおり、ほぼ「泉谷しげるワンマンショー」状態であった。
泉谷自身も何度も「なんで拓郎は来ないんだ!チャボがいない古井戸は、たんなる井戸だ!」と叫んでいたが、
いや、実にその通り、、、。
見ていた古くからのファン達の思いも同様であったろうと思う。
それでも、その空いた穴を力の限りに埋めようとする泉谷のサービス精神、、、、
これには、会場が一体となって(いささか年齢層は高かろうが、、、)盛り上がりを見せていた。
いやあ、よかった。よかった。

それと、もうひとつ、、、。
今年は、忌野清志郎、加藤和彦と相次いで、この音楽シーンに関わりの深いミュージシャンが亡くなってしまった。
これについてもライブ中、泉谷が何度か言及していたが、
やはり、これは、とても残念で、とても淋しいことだ、、、。

だからこそ、今、元気な人にはがんばってもらいたい。
もっと、もっと、音楽を通して、自分たちと同時代を突っ走ってほしい、、、
こんな思いが、盛り上がりを見せる聴衆のそれぞれの胸に、
ひとつひとつ、しっかりと刻みこまれていたのではないだろうか、、、。

出演者会場一丸となってジャンピングの連続!

2009/11/27

房総も半ば ‐‐出東京記‐‐

房総ライフも本日で2週間、一ヶ月限定滞在のおおよそ半ばを迎えたことになる。

17日付けのブログで、「なぜか房総、房総サンセット、、、、」と
ほとんど何の脈絡も説明もなしに、いきなり始まってしまったこの房総生活報告であるが、
そも、我々はいかにして房総生活にいたったのか、、、。
いかにして我々の「出東京記」は始まっていったのかをお伝えする。

思い起こせば、予兆は今年の春ごろからあったのだ。
まずはなんといっても仕事だ。
これがいろんな意味合いにおいて、大きな曲がり角に来ているらしい、ということ、、。
もちろん、世の中自体がむちゃくちゃな不況に陥っているため、
その波は否応なく我々末端業者をも飲み込むことになり、、、ざっぱああーん、、、、
その結果、これまでの仕事のやり方を変更せざるをえなくなってしまったというのが、正直なところ、その一因ではある。

でも、まあ、僕の場合そうでなくても、
仕事においては、10年に一度くらいの割合で、大きな転換期を経てきたのだった。
なんせ、マンガ、イラストレータとして出発して以来、
関わってきた仕事は、音楽、映画などの評論、エッセイ、雑誌の編集、ライター、デザイン全般、
ファッション・エディター、レコードジャケットや写真集のアート・ディレクション、プロモーション・ビデオなどの映像監督、
2Dまたは3DのCG制作、CD-Romなどのマルチメディア・コンテンツのアート・ディレクション、オーサリング及び制作、
WEBなどのデジタル・コンテンツのアート・ディレクション及び企画、制作などなど等等等、、、、。
実にお恥ずかしい限りの節操なき職歴ではあるが、でも仕様がない。
そうやって来ちゃったのだ。

で、この30年間に及ぶ無節操な職歴を俯瞰して見てみると、、、
どうやらそれは、10年に一度くらいの割合で大きく転換しているような気がする。
「アナログ」から「デジタル」へ、「個人ワーク」から「プロジェクトワーク」へ、、、と。

そこで、私は考えた。
ひょっとしたら今回も、次なるステップに向けての大いなる転換期なのではあるまいか、、、
いや、そうに違いない。そうかもしれない、きっとそうだ。
そうだと信じて突っ走るしかない。
だって、今までだって、そうやって来ちゃったんだから、、、。

という訳で、転換にかけるこの思いが、最初に述べた「出東京」へと、ダイレクトにつながる事となる。
この際、仕事の転換に伴い、我々の都市型ライフスタイルも、あるいは別のライフスタイルに変える時期なのではないか、、、、。
もちろん、それ以外にも様々な複数の要因が絡んではいるのだが、
そうやって、我々の「脱東京計画」はまことしやかに、あるいはナシクズシ的に進んでいったのである。

そう言えば10年ほど前にも一度、トウキョウ脱出を試みたことがある。
そのときは、逗子、葉山あたりに居を移そうと、そっち方面の物件を探し、
場所も決まり、話もある程度まとまりかけたのだが、、、、、
とある事情から、結局それは実現化する事はなく終わってしまった。
今思えば、まだ機が熟していなかったのかもしれない。

で、今回は湘南ではなく、なぜか房総あたりが引っかかった。
ネットで色々と情報を集めているうちに、
「あれれ、、、ひょっとして、ひょっとしたら、、、千葉ってアリなのおー?」って感じで
どんどん頭の中のエクソダス願望は、東を目指して盛り上がっていく。
なんせ、東京から近い割りに、海あり里山ありでスローライフ感も満載、なおかつ、家賃も物件価格もリーズナブルそうだ。

その上に、拍車をかけたのが、「アクアライン800円」だった!!
この制度は、約2年半の間の実験制度だという事だが、
それにしても、今まで3000円もかかって見向きもされなかったアクアライン通行料が
なんと、いきなりの800円というダンピング価格!
これは利用しない手はないかも!かも!かも!!!
と、東京湾の向こう、房総半島を熱く見つめる我々にとっては、
「アクアライン800円」が、さながら杖を振り上げたモーゼによって
真っ二つに割られた紅海のように思えたのであった(ちょっとおおげさ)。

という訳で、夏の間に何度か外房や内房を訪れ「ああ、、こんな感じなのね」と確認しつつ、
それ以外はいつも通りネットで、情報探しをする日々。
意気込みはあるものの、このままでは、我々の「出東京記」はなかなか具体的に実現化しそうになかった。

だが、そんな時、ネット上にある情報を発見した。

なんと!外房のある町が、東京からの移住者を呼び込む為、その実証実験もかねて
「一ヶ月の間、ためしに移住してみませんか?」と呼びかけている。
なんでも、町が用意した家を、ほとんど無料で一ヶ月借りられるとのこと、
町では「移住コンシェルジェ」なるものも設置し、いろいろと相談にも乗ってくれるらしい、、、。
これは、まるで、我々のためにあるような企画ではないか!と、
ダメもとで早速応募してみたのであった。

で、それが当たってしまった。

同じようなことを考える人も多いらしく、応募総数は120組にも上ったらしいが、
なんと、その狭き門をくぐりぬけてしまったらしい、、、。

という事で、
「なぜか房総、房総サンセット、、、、」と、なったという次第、、、。

さてさて、長くなってしまったが、これが期間限定房総ステイに至った事のあらましである。
リアルな房総生活を送る上で、揺れる部分も多々あり、
ほんとに「ココでやってけんのおー」「ほんとにこんな生活やってけんのおー」と思う端から、
「ああ、、、いい所だなあ、、、」「ココでこんな生活をしてみたいなあ、、、」と思ってみたり、
日々あっちゃこっちゃする思いに翻弄される今日この頃である。

仕事の都合で東京と行ったりきたりで、なかなか落ち着かないのだが、
期間限定の房総生活も残すところ半月、
「半(出東京)体験」を今少し、注意深く味わってみようと思っている。

イラテック2号による「房総便り」はこちら>>

2009/11/21

レッツゴーおとりさま

毎年この時期、巷を賑わす風物のひとつに「酉の市」というものがある。

「酉の市」は、11月中の酉の日に各地の神社で行われるお祭り。
その起源は日本武尊(ヤマトタケル)の戦勝祈願や祝勝を、
鷲神社(おおとりじんじゃ)で行ったものを祖にしているというから、めっぽう由緒正しいお祭りにはちがいないが、
やはり、江戸時代あたりから「おとりさま」として庶民に親しまれ、「商売繁盛」や「家内安全」を祈願してお参りするというのが、我々がイメージするところの酉の市だろう。

有名なのは浅草の鷲神社、新宿の花園神社、目黒の大鳥神社あたりか、、、。
そのことからも、関西出身の僕にとっては、
「酉の市」と言えば、じつに「東京っぽい“粋”なお祭り」という風物詩であり続けてきたのだった。

その昔、まだ若かりし頃、新宿歌舞伎町かゴールデン街あたりでしたたかに酔っ払い、
ふっと迷い込んだ花園神社で、招福熊手がひしめき合う豪華絢爛な異空間にまぎれ込むという体験をしたことがある。
酩酊状態で、今ではもうどこからが現実でどこからが夢だったのか、よく分からなくなっているのだが、
酔眼で眺めた、そのめくるめく視覚的恍惚体験が、僕にとっての「おとりさま」の原体験となっている。

さて、今年もやってきたそんな酉の市に、出かけることにした。
地元目黒の大鳥神社。
なんせ100年に一度の大不況ということもあり、縁起物の熊手売りがびっしりと並び
その合間を招福の吉兆をもとめる善男善女が行きかい、なかなかの賑わいを見せている。

当然わがイラテック一同(と言っても二人)もそんな善男善女の一員であり、
来年こそは良い年になりますように、、、の願いを込め、今年初めて縁起熊手を買ってみようという腹積もりだ。
熊手の値段はピンキリで、千円くらいのちゃっちいものから、ん十万する威風堂々たるものまで。
熊手初心者の我々としては、予算は3千円くらい、、、
ちょっとセコイが、あんまりデカイものを買っても置き場所に困るもんね、と自分相手に弁解する。
で、まずは気に入った熊手を求めて境内を一周。
あれこれ迷って、もう一周、、、。

ところで、そもそも、なんで熊手なのか?
これも日本武尊が戦勝を祈願して、武具の熊手を奉納したという、もっともらしい由緒もあるのだが、
それよりも、熊手のその形状から「福をかきこむ」連想をさせ、それが縁起物として定着した由縁だろうと思われる。
で、その熊手にびっしりとデコレートされた様々な縁起物の数々、、、
これがなんともでニギヤカで楽しい。
まさにジャパニーズ・キッチュ、ジャパニーズ・ジャンク感満載のラインナップだ。
まずはなんと言っても「おかめ」のお面。
おかめは別名「お多福」であるからして、福多くして縁起良しの代表格だ。
お多福の田楽ダンスのパートナーである「ひょっとこ」は、たどると「火男」であるからして、
顔は面白くても別に縁起とは関係ないので、この際の出番はなし。
その他には「打ちでの小槌」に「大判小判」、「招き猫」に「七福神を乗せた宝船」、「鯛」に「射的の矢」に「黄金の俵」と、、、
さながら縁起物のヒットパレードである。

さて、迷いに迷った末に、やっとこれぞと決めた熊手を手に取り、売り手のオヤジとの丁々発止のやり取りが始まる。
「これいくら?」
「お目が高いね、2万円!」
「そんなワケないでしょ、この大きさで。ホントはいくら?」
「ホントは5千円と言いたいところだけど、オマケしちゃおう4千円」
「もう一声、3千円にならないか!」
「うーーーん、わかった。3千円で売っちゃおう!」
と、勢いよく値段がきまった所で、プラス千円をご祝儀として渡す。
つまり、向こうの言い値の4千円で買ったことになるのだが、
こっちはご祝儀を出して、ちょっとしたお大尽気分を味わいつつ、売買成立という形になる。
これが、正統派熊手の買い方らしいのだが、実にイキなやり取りだ。
で、売買成立の祝いと、買った人たちの招福を祈念して、
お店の人たちと客の一同で三三七拍子の手締めとなる、、、。
うーーーん、このへんも実にイキですね。

さて、予算は少しオーバーしたものの、そんなこんなのやりとりで、我が家のリビングに収まった縁起熊手。
鯛や弓矢や小判や打ち出の小槌に松と、一通りの縁起物は揃っているのだが、
特に気に入ったのは、本来お多福が収まる位置に、お面の代わりに一升枡が鎮座しているところ。
一升枡が対角線で斜めに区切られ、その中に恵比寿、大黒が収まっている。
で、その意図を聞いてみると、、、
恵比寿大黒揃い踏み、一升マスを半分で区切って、枡枡半升(ますますはんじょう)、、、ますます繁盛、、、
うーーーーん、ここまでくると、七福神のおめでた駄洒落の大喜利だあ。
「ウマイ!!山田くん、布袋様に座布団三枚やっとくれ!」
お後がよろしいようで、、、。

ちなみに、残る今年の酉の市は、来週火曜日24日が二の酉です。
みなさんも、縁起物ワンダーランドに出かけてみてはいかがでしょうか?

2009/11/17

なぜか房総

なぜか房総、、、、房総サンセット。
真っ赤な空、微妙なグラデーションで彩られるむら雲、それら輝く天蓋を鏡のように映し出す水田、、、。
突然、目の前に広がった想像を絶する美しさに、しばし声を失う、、、。

前回のブログのアップから、はや2週間も経ってしまった。
いやはや、この2週間は大変だった。
ドトーのような2週間であった。

先々週末は、小旅行に出かけた。
滋賀のミホミュージアムで開催中の「若冲ワンダーランド」にて、念願の「鯨と象の屏風絵」と対面。
翌日は、伊勢神宮に参拝。
出来上がって間がない、木の香漂う宇治橋を渡り、神域へと紛れ込む。
参拝したあとは、お神酒「白鷹」でほろ酔いになりつつ「おはらい町」「おかげ横丁」で買い食いの嵐。
(これらの出来事は、きっちりと記憶の引き出しにしまってあるので、
後日、引っ張り出して、このブログにアップします。お楽しみに。)

旅行から帰るや、次の週末から始まるプチ移住、ひょっとしたら人生のターニングポイント?
「房総里山お試し移住」に向けての手続きと準備。
(この仔細も、おいおいブログにて書いていきますね。)

そのバタバタの合間をぬって、
地元目黒の大鳥神社酉の市に行き、縁起熊手を買って「商売繁盛家内安全」を祈願、
恵比寿「Juzu」清泉さんのパーティに顔を出し野口君やヒトミちゃんと談笑したり、
フリーペーパー「108」の鈴木完ちゃんと同誌に次回掲載するマンガの打ち合わせをしたり、、、、

てな感じで毎日を慌しくすごしていると、わわわ、あっという間に、もお週末だ!だ!
とりあえずの荷物を車に詰め込み、アクアラインで東京湾を跨ぎ一路房総へと向かう。
現地にて居住に関する顔合わせ、もろもろの手続きの後、、、、
やっと、しばらくの仮住まいとなるキュートな里山の家に落ち着いた、、、。ふうう、、、。

で、荷を解き、ほっとしたその瞬間、、、
目の前に広がっていたのが、前述の夕焼けであった。

しばし、声を失う。
普通、こんな時、ぼんやり辺りの風景を眺めながら「思えば遠くに来ちゃったなあ、、、」などと、
人生の来し方行く末に思いを巡らせたりするもんなんだろうが、、、、、
房総サンセットの圧倒的な美しさの前に、コシカタ君もイクスエちゃんも
しばし、どっかに、飛んでっちゃってしまった、バグース!

てなワケで、一ヶ月の期間限定ではあるが、
我々の「房総ライフ」が始まった。

本日はあいにくの雨だけど、先週末はこんな夕焼けでした

2009/11/03

「THIS IS IT」

11月3日現在、マイケル・ジャクソンのライブリハーサル風景を収録した映画
「THIS IS IT」は大ヒットを記録し、2週間の限定公開期間が4週間に延長された。

少しネタバレっぽくなってしまうかもしれないけど、
いや、大丈夫、僕がちっとやそっと書いたとしても
この映画が持つ力や魅力については、千分の一も伝えられないに違いないと思い直し、
昨日この映画を見て感じたことを、いくつか記すことにする。

ご存知のとおり、この映画は今年の夏ロンドンで行われるはずだった
マイケル最後のコンサート「THIS IS IT」のリハーサルの様子を収めたものである。
公演数ヶ月前(4月から6月)のリハーサルということで、マイケルとダンサー、バックミュージシャン、スタッフ達は、
楽曲のアレンジや、コンサートの演出、いわゆる段取りをつめている、まだまだ途上で、
当然ながらマイケルも本気で歌ったり、踊ったりはしない(特に映画前半は)。

しかし、それでもスゴイのだ。
リハということで、マイケルはそれらのパフォーマンスを何割くらいの力でやっているのだろうか?
半分くらいだろうか、、、それとも、1、2割くらいで流しているのだろうか?
もし、これがフルのパワーで、歌い、踊ったとしたら、どれくらいスゴイんだろうかと背筋がざわつく。

つまり、この映画は、素材集なのだ。
コンサート「THIS IS IT」を完成させるための、
まだまだ未完成の素材やパーツが、この映画には記録されている。
我々はそれらを目撃し、各々の頭の中で、
いまや幻となっていまった、このコンサートの本公演に思いを馳せることになる。
マイケルのパフォーマンスが、楽曲のアレンジが、ミュージシャンの演奏が、
照明、映像、舞台演出、ダンサーの振り付けにいたるまで、
これら全てのパーツが完成し、目の前に繰り広げられたとしたら、どれほどのものになっていただろう!、、、と。
それはきっと信じられないくらい素晴らしい体験になったにちがいない。
そして、その時、もうひとつの事実を知ることになる、、、。
それは決して見ることができないものになってしまった、、、。
我々はなんと、大きなものを失ってしまったんだろう、、、と。

さて、この映画のもうひとつの最大の魅力は、
リハーサルの合間合間に映し出される「人間マイケル・ジャクソン」の素顔だろう。
このライブにかける彼の情熱、妥協のない姿勢、スタッフに対する心遣い、自問自答、、、
それらの言動のひとつひとつを追っていくごとに、
映画のサブタイトルそのままに、「誰も見たことのない彼に逢える」ことになる。
そこにいるのは、まさしく、マイケル・ジャクソンという人間だ。

偉大なるポップアイコンという存在ゆえか、
思えば、彼ほど誤解され、実像が見えない人もいなかったのではないだろうか、、、。
時を追うごとに加速する容姿の変貌、マスコミを通じて伝えられる奇行の数々、、、等など、
これらが、マイケルをどんどん、世間の一般常識から大きくはみ出した存在にしていった。
もちろん、理解のあるリスナーや熱心なファンにとってはそんな事はなかったのだろうが、
多くの人たちにとってマイケルは、80年代を頂点にしたかつてのポップスターであり、
数多くのゴシップや問題を振りまく、まるでクリーチャーの様な存在ではなかったろうか、、、。

正直に言おう。
かつては、「スリラー」や「バッド」で、彼の卓抜した才能に心酔させられた体験のある僕にとっても
2000年代以後のマイケルは「??、、、なんだかなあ、、、」という存在だったのだ。
今年の春、この「THIS IS IT」コンサートの制作発表記者会見の様子をニュースで目にした時も、
「またマイケルが苦し紛れに、なんか変なことをやるらしいなあ、、、」
という程度の浅墓な受け止め方をしてしまっていた。
かねてから、自宅ネバーランドの売却話などを含め、
マイケルが経済的苦境に立たされているという噂の渦中にあったせいだ。

それらの悪意に満ちた誤解と先入観、、、そのおかげで僕は、
「復活公演とも言える13年ぶりの本格コンサート」「マイケル最後のコンサート」
というこのコンサートの本来の意味を考える事もなかった、、、。
ところが、唐突に訪れた彼の不在によって、その本来の意味を知ることになろうとは、、、
なんという皮肉であろうか、、、。

また、もし仮に、それらの誤解と先入観のほんの一部が事実であったとしても、
「それが何なの?」「それがどうしたというんだ」と思わされるくらいの
圧倒的な才能であり、存在であったと言うことを
この映画は再認識させてくれるのだった。
まったくもって、自身の矮小な偏見と非寛容を悔やむばかりである、、、。

でも、そんな我々にもマイケルは、映画の中のスタッフに対してのように
「怒ってなんかいないからね、、、、L、O、V、E、、、」と、
声をかけてくれるだろうか、、、、、。

きっと、言ってくれそうな気がする。
映画の中のマイケルは、そんなやさしいオーラに包まれている、、、。

、、、、、というのが、僕の「THIS IS IT」を見て感じたことだ。

ちなみに、「スムーズ・クリミナル」も「マン・イン・ザ・ミラー」も
「ビリー・ジーン」も「スリラー」も、、、、どの曲もどの曲も素晴らしいのだが、
マイケルが心血をそそぎ立ち向かっていた環境問題、地球への思いを凝縮した
「アース・ソング」がもっとも心に残っている。

earth song

2009/11/02

秋桜と書いてコスモスと読むのね

明日と言う字は明るい日と書くのね。
秋桜と書いてコスモスと読むのよ。

とても気持ちのいいお天気の日曜日。
このブログがきっかけで、「それでは久しぶりに会いましょうか」ということになった
元F通「TEOプロジェクト」スタッフのKID氏に誘われて、昭和記念公園に出かけた。
もうそろそろ、紅葉がきれいかな?、、、という思惑と共に。

この公園には3年前に一度、桜の季節に訪れたことがある。
公園中央あたりの広場近くにある桜の園が、それは見事だったのを憶えている。

さて、ティーシャツ1枚でも汗ばむくらいの暑さとなった昨日の公園は、まだ紅葉にはすこし早かったようだ。
その代わりに、ちょうど、この時期
「コスモスまつり」というイベントを催すくらい、コスモスが見頃をむかえていた。
春には桜、秋には秋桜。
70万本の黄色いコスモスで出来た、うすレモン色のもっこもこ絨毯。
黄色いコスモスってなかなか珍しいと思うんだけど、とてもラブリーで見事です。

調べてみると、この種「イエローキャンパス/キク科/コスモス属」というコスモスは、
玉川大学農学部の育種学研究室の長年の研究によって作りだされたもので、
2000年に開発された新品種だとのこと。
つまり、この世に生まれでてきてから、まだ9年しかたってない!
ちなみに、うちの部長/トイプードル/愛玩犬属と同い年だ。
だから、どうという事はないんだけど、、、、。

で、あまり、綺麗には撮れなかったんだけど、下の写真の感じ、、、。
なんか、バージニア・アシュトレーのレコード・ジャケットみたいね、、、(イメージ、イメージ)。

2009/10/31

Happy Halloween!

かの地にハロウィーンという催しがあると知ったのは、
高校時代に買ったPeanuts Books「Wish-wosh Charlie Brown」(1972)というコミックペーパーバック、、、
つまりスヌーピーのマンガですね、それを読んだ時のことだ。

ライナスとスヌーピーがかぼちゃ畑に隠れている。
ライナス曰く
「ハロウィーンの晩には“カボチャ大王”はもっとも誠実なかぼちゃ畑を選んで、そこから飛び立つんだ」
「それから、空中を飛んで世界中のよい子におもちゃを配るんだ」
で、聞かされるスヌーピーは、いつも通りの
「やれやれ、、、やってらんないぜ、、、」といった面持ち、、、というオチなんだけど、、、
ハロウィーンというもの自体の知識をまったくと言って持ち合わせていなかった僕には、
このマンガの意味が全然わからなかった。

それが例によって妄想少年ライナス君の、
頭の中で膨らんだお得意のとんちんかんなハロウィーン妄想だと分かり、
「ああ、なるほど、そういう事だったのか、、、」と
チャールス・M・シュルツ描くところの“オチ”が理解出来たのは、それから随分あとの事、、、。

つまり、長い間、ハロウィーンと聞くと、
僕の頭の中ではカボチャ大王なるものが、ぐるぐると飛び回っていたのでありました、、、。
「やれやれ、、、」

2009/10/28

葡萄畑の夜

昨日のブログの最後に書いたように、昨夜は
新宿ロフトで30日にわたって行われているイベント「Drive to 2010」に登場する、
「葡萄畑」&「BANDA PLANETARIO」のライブを見に行ってきた。
え?なに?ぶどーばたけ、、、?ばんだなんとか?
と言う人のために、もう一度、バンドリーダーあおちゃん、こと、青木和義氏による
バンド紹介を再録すると、、、。
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葡萄畑

日本ロック黎明期70年代に活躍した、伝説のブリティッシュロック系バンド。
渋谷ジャンジャンや深夜TVなどでの変態逆鱗なライブが大評判となった。
74年と76年に、明らかに人格の違う2枚のアルバムを発表。
小坂忠のバッキングなども務めたが、石油ショックの影響なのか?78年突然に謎の解散。
しかし、24年後の2002年、渋谷クラブクアトロで奇跡の復活ライブを敢行。
2004年には、何と26年ぶりに3rd アルバムを発表した。
その後、2年に1回の“絶滅危惧種ペース”でライブを続行中である。

BANDA PLANETARIO

葡萄畑の中心メンバー青木和義が3年前に結成した、
フィドル・マンドリン・アコギ・アコベによる弦楽四重奏楽団。
ヨーロッパ各地から流れ着き、北米アパラチア山脈周辺に広まったルーツ・ミュージックの数々。
それらの音楽への強い憧憬から結成され、バーなどを拠点に演奏活動をスタート。
最初は、アメリカーナやケルトミュージックを中心に演奏していたが、ある日突然、
オリジナル曲を演奏してみたところ、『我々の憧憬は我々自身の中にある』と気づく。
それ以来、オリジナル楽曲のみを演奏している。
多種多様な音楽文化が織り成す“フィルム・ミュージック”のような音像世界が、バンプラの真骨頂である。

Official Web Site(デモ音源試聴可能)
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、、、、となる。

僕と葡萄畑の人たち、
とくにあおちゃんとは、それこそ、古い、ふるい、フルーい!付き合いである。
なんてったって30年来の友人で、その最初の頃には一緒にテクノバンド(!)をやったり、
その後ポリドールに入ったあおちゃんの初仕事のレコードジャケットは
僕がイラストを描かせてもらったりと、、、ほんと、公私ともにいろいろご一緒してきた仲だ。

それに、あおちゃんの新バンド、BANDA PLANETARIOのベーシスト戸田吉則氏、
このよっちゃんとも、最近こそあまり会っていなかったが、古い、ふるい、フルーい!友達、、、
ぼくが「宝島」やってたときには、よーく一緒に遊んだよなあー、、、、、

おーっと、いかんいかん、こんな思い出話ばかり書いてたら、ぜんぜんキリがなくて
あっという間に、普段のブログの30日分くらいになってしまうぞ!
それに、いつまでたっても、ライブのレポートが出来ないじゃありませんか!

ということで、気を取り直していきましょう。
「葡萄畑」&「BANDA PLANETARIO」のライブレポート!

隣のメインステージから「頭脳警察」(これもスゴイ!結成40年の大迫力)の
過激な重低音が漏れ響いてくるなか、
新宿ロフトのサブステージ、バーステージにおいて「葡萄畑ナイト」は始まった。

まずはあおちゃんの新バンド、BANDA PLANETARIO、略してバンプラが登場。
あおちゃんマンドリン、ヨシンバの吉井くんギター、よっちゃんアコースティックベース、
秋久ともみちゃんフィドル(オリジナルのヴァイオリン担当に代わり今回から参加)、の4人編成。
基本的には、カントリー、ブルーグラスなどのアメリカン・ルーツ・ミュージックから
アイリッシュ・フォーク、トラッドなどのケルト・ミュージックのテイストが
色濃く漂うインストゥルメンタル音楽なんだけど、
それだけでも大好物音楽なのに、それプラス、ちょっとフェリーニ映画のニーノロータっぽい所や、
僕の大好きなポルトガルのバンド、マドレデウスっぽいところもあって、かなーーーり、いい感じ。
目を閉じて聴いていると、架空のセピアカラー、ロードムービーがじんわりと浮かんできます、、、(泣)。


左から吉井くん、ともみちゃん、よっちゃん、あおちゃん

そして、葡萄畑メンバーも加わり、葡萄畑ライブタイムがスタート。
参入メンバーは、本日ペーパードラムで参加する葡萄2代目ドラマー、マイケル、
ギターに本間さん、今回はミニアコーディオンを奏するキーボード佐孝さん、の3人。


左にマイケル、よっちゃんの後ろに本間さん、あおちゃんの後ろに佐孝さんが加わり、、、

あおちゃんもそのプロフィールに書いているように、70年代に出した葡萄畑の2枚のアルバムは
明らかに傾向の異なるサウンドのものだった。
ザ・バンドを彷彿とさせるアメリカン・カントリー・テイストのファースト、
ロキシー・ミュージック、10ccを彷彿とさせるブリティッシュ・ポップ・テイストのセカンド、、、
といった感じで、その音楽的矛盾も、このバンドが謎多きカルトな存在、伝説のバンド化している一因である。
ま、それゆえ、とらえどころのないバンド、、、と見られなくもないのだけど、、、。

さて、ライブでは、そのテイストの異なるファーストからも、セカンドからも、
両方からの楽曲がまんべんなく披露され、
で、それぞれの楽曲が、現在のバンプラに通じる
アコースティック・スタイルで演奏され、意外にとても調和がとれたものになっていた。
話がそのサウンド変遷に触れたときに
「あの時代に、僕らとしては自然な流れだった」と言うあおちゃん、なるほど、、、。
また、「ファーストとセカンドの流れを合わせて、突き詰めてやっていくと今のバンプラになる」
という言葉にもナットク、、、。
ま、そんなこんなで、懐かしい楽曲が、新たな形で演奏され、ヒジョーに楽しいひと時であった。

演奏終了後、今回のイベント仕切りのサエキケンゾー氏がMCで乱入。
あおちゃん、葡萄畑の略歴、プロフィールなどを披露した。
「青木さんは実はスゴイ人なんですよ、僕らパール兄弟の産みの親だし、
それ以外にも、松尾清憲、スピッツ、平沢進、などを手がけ世に出した、、、ほんとにスゴイ人なんです」
と、リスペクト・トークで会場を盛り上げてくれたが、その後に続く、ご本人あおちゃんのグダグダトーク、、、。
会場からは「あーあ、やっぱり」とため息がもれた。

で、そのサエキ氏からのリクエストもあって、再アンコール曲は葡萄畑の名曲「お嬢さん、おてやわらかに」!くくくーっ(大泣)。

と、いろんな意味で実に感動的な葡萄畑の夜であった。
また、近いうちにゼヒやってね。

2009/10/27

ライブ!ライブ!ライブ!!!

一昨日の日曜日から、イベントが続いている。
それも、ライブ3連発!

25日は、スターポエッツさんのパーティ。
スタポのお膝元、三宿のカフェ・シェリールにおいて、
竹中章恵ちゃん、眞田友恵ちゃん共著による「わたし時手帖2010」(ランダムハウス講談社)の出版記念と、
スターポエッツ」の7周年のお祝いを兼ねたパーティが開かれた。

で、そのパーティでライブを行い、会場を大いに盛り上げたのが、
前述の竹中章恵ちゃん(ha*)と、tomioさんによる女子2人組バンド「M.A.G.O.」。
へんてこ変調変拍子の楽曲+ガールズパワー、(とくに章恵ちゃんのライブパフォーマンスが強力)
という感じのライブで、なんだか80年代ニューウェイブを彷彿とさせられて、
ホホエマしく聴かせていただきました。

「M.A.G.O.」さんのサイトはこちら。

さて、そのスタポパーティでDJを久しぶりに担当していたのが、遠藤聡明氏。
昨日26日は彼に誘われて、氏の企画するライブイベントが行われる恵比寿NOSに行ってきた。

聡明氏は、NOSでライブのブッキングや、ギャラリー部分の企画などを手がけていて、
僕も4年前「Technoicon2005」と題し、展覧会をやらせてもらったことがある。

で、昨日NOSで行われたライブは「スティーヴ・エトウ×竹内朋康=S.O.N」。
パーカッショニスト、スティーブ・エトウと、
SUPER BUTTER DOG、マボロシなどのギタリスト、竹内朋康による
インプロ感あふれる、いきあたりバッタリの即興ライブ。
スティーブ・エトウの変幻自在のパフォーマンス>>>実にかっこ良すぎ!!、の興奮ライブであった。
なお、当日の音源をその場でCDに焼いて販売したりもしていて、
この前の坂本龍一ライブ(その日の演奏を、ライブ後24時間中に
iTunesStoreでダウンロード販売した)も驚いたけど、
これは、もっとインディペンデントなライブを、もっとダイレクトに販売していて、ちょっとびっくり。
まさに、手焼きせんべい実演販売状態!
すごい時代になったもんですね、、、。

さてさて、ライブ3連発のラストはというと、、、、、
本日の夜、新宿ロフトで30日に渡って行われているイベント「Drive to 2010」、
このイベントになんと!「葡萄畑」が出演する!!!

バンマスあおちゃんから送られてきたメールによると、以下の通り。
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“葡萄畑”がPRESENTAする“BANDA PLANETARIO”による器楽演奏曲の数々。
葡萄畑の歌曲(含む未発表曲)も、BANDA PLANETARIOのいつものスタイル
“完全生Attitude”にて、大合奏する予定。ご期待のほどを。

葡萄畑

日本ロック黎明期70年代に活躍した、伝説のブリティッシュロック系バンド。
渋谷ジャンジャンや深夜TVなどでの変態逆鱗なライブが大評判となった。
74年と76年に、明らかに人格の違う2枚のアルバムを発表。
小坂忠のバッキングなども務めたが、石油ショックの影響なのか?78年突然に謎の解散。
しかし、24年後の2002年、渋谷クラブクアトロで奇跡の復活ライブを敢行。
2004年には、何と26年ぶりに3rd アルバムを発表した。
その後、2年に1回の“絶滅危惧種ペース”でライブを続行中である。

BANDA PLANETARIO

葡萄畑の中心メンバー青木和義が3年前に結成した、
フィドル・マンドリン・アコギ・アコベによる弦楽四重奏楽団。
ヨーロッパ各地から流れ着き、北米アパラチア山脈周辺に広まったルーツ・ミュージックの数々。
それらの音楽への強い憧憬から結成され、バーなどを拠点に演奏活動をスタート。
最初は、アメリカーナやケルトミュージックを中心に演奏していたが、ある日突然、
オリジナル曲を演奏してみたところ、『我々の憧憬は我々自身の中にある』と気づく。
それ以来、オリジナル楽曲のみを演奏している。
多種多様な音楽文化が織り成す“フィルム・ミュージック”のような音像世界が、バンプラの真骨頂である。

Official Web Site(デモ音源試聴可能)
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くうううーーーーっ!楽しみです。
スタートは9時半、ステージは新宿ロフト、バーステージ。
このライブだけは、隣のかみさんを質にいれても行かなきゃなんめぇ!

つーワケで、レポートは後日。

2009/10/23

リターン・オブ・ジャクチュー

先日のブロガープレビューに参加した折に、
事務局の方からありがたく入場券をいただいていたので、
今度はイラテック2号サトコと共に、もう一度「皇室の名宝 日本美の華」展に出かけてきた。

21日水曜日正午、本日は快晴なり。
ジャクチュー再び、リターン・オブ・ジャクチュー、
ジャクチューの逆襲、ぎゃくしゅー、ぎゃくちゅー、じゃくちゅー、、、、
等などと苦しいオヤジギャグを連発しながら、上野駅に降り立つ。
いつもなら、上野には車で行くことが多いのだが、今回は展覧会後、夜のお楽しみ、
上野ガード下居酒屋めぐりのため、山手線を利用することにしたのであった。
また前回はプレビューのため、そんなに時間も取れなかったので、
若冲「動植綵絵」に的を絞って鑑賞したのだが、
今回は時間的にも余裕を持って出かけ、他の作品も「じっくり」見ようという心づもり。

まずはいきなり、東京国立博物館前の本展の大看板を「じっくり」と見る。
あらためて見るとこれって、すごいコラージュだよな、
左に若冲群鶏、右に松園の姫様、下に永徳唐獅子、
でもって、後ろに横山大観の金富士がドーンだもんな、、、、。
じっくり。

で、入場。
会場はまあまあの混み具合だけど、平日の午後ということで、
薬師寺展や阿修羅のときに比べると比較的ましかも、、、といった感じ。
でも、まあ、若冲ルームはやはり人気の的らしく、おばさんパワーに満ち満ちている。
で、そのおばさんとおばさんの間をぬって、再び若冲をじっくり、、、。
時間を置いて再見したため、新たな発見もいっぱいあって、再び深く感動。

もちろん、他の作品もじっくり。
じっくり見れば見るほど、どの展示物も素晴らしいものばかりで、ため息の連続なのだが、
中でも、「七宝月夜深林図額」と「七宝四季花鳥図花瓶」の
ともに七宝焼きの2作品が、妙に心に残った。

というのも、そんなに工芸品の類いが好きという事でもないため、
こういう機会でもないと、あまり鑑賞しなかった、ということがひとつ。
それと「七宝焼き」という工芸に対してこれまでは、
なんとなく有閑層のカルチャースクール趣味みたいなイメージを持っていたのだが、
この2作品によって、そんな「七宝」に対するイメージが、大きく覆されてしまった、ということ。

とくに「七宝月夜深林図額」は、前回見たとき「きれいな水墨画だなあ、、、」と、
絵だとばっかり思い込んでいた。
で、今回、これが絵ではなくて、七宝工芸作品だと知り、大いに驚かされた次第。

翌日である昨日、Kan925のジュエリーデザイナー、神田氏と会食した際に、
さっそく、この件を話し、七宝焼きに関しての多少のレクチャーを受けてみたのだが、、、、
それでもさっぱり分からない、、、。
どうやったら、ああいうものが作れるのか、、、。
ちょっと七宝について、もうちょっと突っ込んで調べてみようかな
、、、などと思ってしまった。

さて話を戻し、そんなこんなのまさしく名宝展、
閉館時間の5時まで、実にじっくりをじっくりしてから会場を後にした。

外に出ると、素晴らしい夕景が広がっていた。
紅い群雲に新月の図、、、
うーーん、なかなか、よく出来てる。
なかなかの名画です。

2009/10/19

「夜の鯨」

Yla PortfolioのComic のコーナーに、フルカラーコミック 「Modern Detective Story」の第2話「夜の鯨」をアップしました。

「Modern Detective Story」第一話の作品紹介のところにも書いているけど、
このマンガは、1990年に月刊で刊行された大判のフルカラーコミック誌「A-ha」に連載された。
題名からも分かるように近未来を舞台とした探偵物語で、
主人公の自称私立探偵(本職は会計士)が、毎回ちょっとストレンジテイストで謎にみちた事件に立ち向かってゆくという物語。

僕にとって「Modern Detective Story」は、いくつかの意味でとても記憶に残る作品となっている。

ひとつ、
わりとまとまったページ数で、毎回読みきりのマンガを連載するというのは、
僕にとっては初めての仕事だったということ。
(それまでは短編作品がメインだった)
しかも、毎回フルカラー!

ひとつ、
僕のマンガ作品の中では、わりと分かりやすさや、ストーリー性を重視して作った作品であるということ。
読んだ人からも「今までの中では一番、一般受けしそうな作品じゃない(笑)」という評価をいただいた。
自分で言うのもなんだけど、僕自身も、一度はちゃんとエンターテイメント性のあるものを
しっかり描いてみようと意識して制作した作品である。
(ま、でも、このレベルなんですが、、、)

ひとつ、
手描きのマンガ(紙にペン、カラーインクで彩色)としては、
この作品が、最後の作品になってしまったということ。
これ以後、僕の作品は(イラストもふくめ)全てデジタル環境で行うことになり、
手がけるマンガ作品も、CGコミックになっていった。
(最初はNECのPC-98で、その後Macで、、、といった感じなんだけど、
 これはいずれ、CGコミックの紹介の時にでも詳しく、、、、)


つーことで、そんな「Modern Detective Story」です。ぜひ、ごらんください。

2009/10/08

台風一過

台風一過。
今日の夕焼けは、格別です。

屋上から見える、富士山のシルエットもなかなか見事。
手前にあのデカいマンションがなければ、もっときれいなんだけどなあ(ため息)。
(目黒より西方を望む)

で、ついでにと言っちゃなんだが、サイトのトップページでは反対側の風景をアップしてみた。
こっちも、きれい、、、。

(目黒より東方を望む、六本木 芝 方面)

2009/10/06

「皇室の名宝 -日本美の華」

一昨日のブログでお伝えしたとおり、
昨日の午前中は「皇室の名宝 -日本美の華」@東京国立博物館、
この展覧会のブロガー用プレビューに行って来た。

以下、そのレポート。

ついに若冲の「動植綵絵」と対面できる時がやってきた。
はやる気持ちを抑えつつ、プレス関係者とともに、開催の挨拶を聞き、
取材の注意点のレクチャー等を受ける私。わくわくどきどき。
どうやら、与えられる時間は、1時間ちょっとと、意外に短いようだ、、、。
もちろん若冲以外にも、教科書でおなじみ「永徳の唐獅子」や、丸山応挙、横山大観の屏風絵などなど、、、
じっくり見たいものも数ある筈なのだが、今日はそうも言ってられない、
ここはひとつ、若冲いっぽんに絞ることにする。ウイーン、ガシャン!ロックオン完了!

で、さっそく入場。
こういう上品華麗なエントランスが迎えてくれるが、それを横目に第一展示室へ。

入ってすぐに南蛮渡来な感じの屏風絵「萬国絵図屏風」が思わず目に入ってきて、
「へえー、面白いなあ、、、」と足を止めかけるが、あ、いかんいかん、
まっすぐ進むと今度は正面に、狩野永徳の唐獅子がどおおーーーん、
「あー、やっぱ、本物は迫力が、、、」と見入りそうになるも、あああ、またまた、いかんいかん!

で、やっとたどり着いたのが、第2室。
この部屋がまるごと、目的の伊藤若冲「動植綵絵」全30幅を展示した、
ミラクル・スーパー・ワンダフル若冲ゾーンであった。

贅沢に一点ずつ時間をかけて、じっくりと絵を眺めていく。
緻密かつ大胆に色鮮やかに描き込まれた絵の中にひしめき合う
花や木、鳥、虫、魚、、、などの生き物たち。
その圧倒的な迫力が目から網膜の奥へと伝わり、
やがて後頭部がじんわりと痺れ、涙腺が思わずゆるんでくる、、、。

若冲はこの30幅の絵を、40代の頃、約10年間を費やして、
今回展示されていない「釈迦三尊像」三幅と共に描きあげたという。

なるほど、と不在の釈迦三尊像を、心の中で部屋の中央に浮かべてみる。
生きとし生けるものが、その多様な生命を謳歌し、まさしく仏と共にある。
実に実に美しい世界だ。
(2007年、これらの連作すべて揃った展覧会が、京都相国寺で開催されたが未見。
 うーーーん、今思えば実に残念!)

さてさて、そんな訳で、素晴らしいプレビューの時間はあっという間に過ぎていった。
あらためて、こういう機会を与えてくださった
「皇室の名宝」 ブロガープレビュー事務局の皆様に謝辞を申し上げる。
本当にありがとうございました。


あ、そだ。
事務局の方から宿題をひとつ、出されているんだった。
なになに、、、、
「もし1点だけ持って帰れるならどれにするか? どこに飾りたいか?」
ですか?

ここまで若冲若冲って言ってるんだから、当然選ぶのは「動植綵絵」からだよな、やっぱ。
うーーーん、悩んだ末に、選んだのはこの一点。

写真だとちょっと分かりにくいんだけど、真ん中の魚介の絵を選ばせていただきます。
ぎっちり描きこまれた他の絵と違って、程よくスカスカ感漂うこの絵なら、
リビングやダイニングルームにかけておいても、飽きることなく眺められそう。
群鶏図なんかは迫力ありすぎて、ちょっと食欲なくしそうだもんね。
その点、この絵なんかは、どことなくミロやタンギーを思わせるシュールなタッチで
インテリアにぴったしですな。

ちなみに、生地にプリントしてアロハシャツにするのも良さそうだ。
「あ、お前、良いビンテージアロハ着てるじゃん、
 げげっ!よく見ると、、、、
 それって!じゃっ!じゃくちゅーーーっ!!?」
と、仲間内の視線を集めること間違いありません。

御即位20年記念特別展「皇室の名宝 -日本美の華」

2009/10/04

もおすぐ、じゃくちゅーーーーーっ!

話は変わって、前述のナヤミの一因にもなっている
明日午前中に予定されている一大イベント、、、
これが何かと言うと、、、。

明後日10月6日より、東京国立博物館において「皇室の名宝 日本美の華」展が開催される。
これは皇室ゆかりの名宝を一堂に集めた特別展、との事だが、
なんと言っても、目玉は伊藤若冲の代表作「動植綵絵」全30幅だっ!どーーーーん!!
展覧会の開催を知った僕は、この圧倒的な迫力の作品を、何とかこの目で見たいと、
数ヶ月前から指折り数えて待っていたのだった。

ところで、先日、この展覧会のサイトを見ていると、「ブロガープレビュー募集」とある。
むむ、これは、いろんなブログを書いてる人を集めて、展覧会のプレビューをやるということらしい、、、
僕のこのブログも、最近やっとマメに更新して、ブログらしくなってきた事だし、
ダメでもともと、応募してみよおーーーっと。
と、実に軽いのりで、とりあえず応募してみたのだが、これが見事に当選。
なんと、20名のブロガーの一人に選ばれてしまった!!!
うれしいっ!素直にうれしいっ!!これで、「動植綵絵」全30幅だっ!どーーーーん!!がもっと楽しめるぞ。
(きっと一般開催中は混むだろうからね、、、)

という訳で、その楽しみなブロガープレビューが、明日の午前中なのでした。
ああ、、、今からわくわくドキドキ、、、。

ピエール・バルーの娘!?

昨日は永福町にある友人のお店「鶴吉」で催された
新潟の美味しいお酒とお料理の宴「新潟NIGHT」へ。
集まったのはおなじみ「恵比寿次郎長バー・オールドスクール」、改め、「苔のむすまで会」の面々。  
  (次郎長バーに関しては、いずれ、ゆっくり書こうかしら、、、)
宴は会長シズコさんを中心に、なかなか、なごやかかつハイテンションに盛り上がった。
僕も久しぶりに、日本酒をきこしめしたりしたもんで、すっかり、酔っ払ってしまいましただよーお。やれやれ。
ちなみにイラテック2号サトコは、前日の強行展覧会めぐりが祟ったのか、体調を崩して不参加。
残念でした。

さて、その席で、インテリア・デザイナーの野口君に面白いお誘いをうけた。
なんでも、僕の大好きなフランス人シンガー&プロデューサー、ピエール・バルー(!)、
この人が日本人女性と結婚していたのはなんとなく知ってはいたのだが、
その間に生まれた娘が、今ではすっかり大きくなって、自身もバリバリ音楽活動をしているとのこと。
そういう時代になったんですね、、、、(ちょっとため息)。
で、そのマイア・バルーのライブが本日クーリーズ・クリークで開かれるという。
「それは面白い、行く行く、ぜひ行ぐ」と、酔ったイキオイで約束してしまったのだが、
ここんとこ遊びすぎですっかりビンボーなのと、明日朝早くから大切な予定があるので、
どうしたものか、、、、と現在、ナヤミ中、、、、
多分今回はパスかな?

さきほどMySpaseでチェックしてみたのだが、
これがめっぽういい感じのライブっぽくて
ますます、ナヤむ、ナヤむ、、。


むかーし、雑誌のコラム用に描いたピエール・バルーの似顔絵。
その頃一度お会いしたことがあるんだけど、こんな感じのおじさんでした。

2009/10/03

エジプト、シカン

昨日はエジプト行って、シカン(ペルー)へ行ってと大忙し。
と言っても、これは上野で開かれてる展覧会の話。
同日、他の会館で開催されているローマ行って、チベット行ってたら、
ほぼ上野のお山でプチ世界一周状態だったのだが、
さすがにそこまでは時間も体力も間に合わなかった。
残りは、また今度。

で、まずは「トリノ・エジプト展」
ほんとはこの前まで横浜で開催されていた「海のエジプト展」に
ゼヒ行きたかった所なのだが、残念ながら行けず、
それならば、これだけでも見逃すまいと出かけて行った次第。
明日4日まで(残り3日)の開催とあって、会場はなかなかの混雑を見せている、、、
ううう、、、身動きができん。
「まったく日本人ってエジプト好きだよなあ、、、ほんと」と悪態気味に2号サトコにささやいてみるが、
何のことはない、僕自身ニューヨーク行ったらメトロポリタン、ロンドン行ったら大英博物館に
何をおいても行ってしまうという、根っからのエジプト好きなのだった。

さて、ホンネの感想を先に述べると、「やっぱデカイのをもっともっと見たかったよネ」。
彫像はでっかくないと、、、という(2号ともども)単純にして、でっかいもん好きの感想でした。
とは言うものの、「ライオン頭のセメクト神」や、「きれいな石製の人形棺」や、
ごろんと転がる「牡羊の頭」など見ごたえのあるものも多く、
特に「アメン神とツタンカーメン王の像」は本展の目玉だけあって、すばらしいの一言。

よく見ると、、、、こんな感じ。

で、問題はそのポーズ。
正面から見るとツタンカーメンの右手はいったん下に下がっている。
しかし、神の肩に添えられた手は水平にのびていて、、、
それは、つまりこんなポーズなのだが、、、、

そう、ご年配の方々はすでにお気づきだと思われるが、
1973年に大ヒットした金井克子「他人の関係」の、
あの、あまりにも有名な振り付けポーズに酷似している事を私は発見してしまった。
そおかあ、、、あの「ぱっぱっ、ぱやっぱあーーー」でおなじみの、
あのポーズのルーツは意外にもこんなところにあったのか、、、。

さてさて、せっかくココまで来たんだからと、同じく上野の科学博物館で開催されている
「黄金の都 シカン展」も、はしごで見ることにした。
こちらの方は、時間が遅かったこともあって、程よく空いている。

ここの見所は、儀式用の金のナイフ、トゥミにあしらわれた神像や、
埋葬者がかぶっていた神様のお面、、、、などなど。
さっき見てきたエジプトの神々から比べると、その神様たちは
なんともプリミティブで可愛らしくて、つい微笑みをさそわれてしまう、、、。
でも、どっこい、そこは南米遺跡、
生贄やなにやらの、血なまぐさい一面も見え隠れしたりして、、、
そう思ってみると、その可愛らしさが、逆にコワく感じてしまうのでした。
  >>>世に言うチャイルド・プレーのチャッキー効果(笑)

このトゥミは儀式用のため、ホントはこういうエグい事には使われておりません、念のため

2009/10/02

「ロボッツ・アワー」

今回は過去の作品自己レビュー(恥しらず!)の第一回目。
30年前のマンガ作品「ロボッツ・アワー」をご紹介 。
ま、ほとんどの人がそんな作品ご存じないでしょうから、お時間のある人は、まず読んでみてください。
Yla PortfolioのComic のコーナーに新規追加してあります。
「オンラインコミックを読む」ボタンをポチッと押してもらうと、ビューアが開いてマンガが読めるようになっております。
ちなみに、まだまだ少ないですが、他に2作品(地図と記号Modern Detective Story #1「一対のガーゴイル」 )をアップしてありますので、そちらもよろしかったらゼヒ。
つーことで「ロボッツ・アワー」。

それ以前にも音楽雑誌などで、音楽評論の合わせ技としてマンガを発表したりはしていたんだけれど、
ちゃんとしたマンガのデビュー作品というのは、1979年の6月号の「ガロ」に入選掲載された「モダン・ラヴァーズ」になる。
この「ロボッツ・アワー」はその次に描いた、実質的なマンガデビュー2作目の作品。
Portfolioの作品紹介のところでも書いているけれど、
描きたいテーマで描いた「モダン・ラヴァーズ」が入選作品として認められたという嬉しさもあって、
鉄は熱いうちに打てとばかりに(たとえ違うか?)早速描いたのがこのマンガ。
描きたかったテーマは機械(あるいはテクノロジー、コンピュータ)と人間、
デジタルとアナログ、クールとホット、、、、それらの対立と邂逅、、、、みたいな感じで、
これ以後も、そんなテーマで描きる続けるうちに、やがて「テクノなマンガ家登場」などと評されたりもした。

改めてみると、あまりにも絵がヘタクソで悲しくなっちゃうし、
そういうスタイルということを割り引いて見ても、あまりにもヒドイ描きこみの浅さ、、
そのわりには細かい所のグラフィカルな遊びは、実に楽しそうにいろいろとやっている。
ま、ようするにバランスが悪いわけで、これぞまさしく、若気のいたりといった感じね。
でも、当時こういう感じのグラフィカルな絵柄をマンガに持ち込んだのは珍しかったらしく、
そのへんも「テクノなマンガ家」と呼ばれた所以なワケです。

さて、この作品についてのこぼれ話をひとつ。

僕の作品(特に初期の)の登場人物の名前やキャラクター造形は、
身近な友人のものを借りたりする事がわりと多かったんだけれど、
この作品の童話や小説を書くロボット「シューへー君」もまさしく、それ。
当時親しくさせていただいていた絵本作家、長谷川集平氏のお名前を拝借した。
ちなみに登場人物の女の子の名前「クミコ」も、集平ちゃんの奥さん(くんちゃん)のお名前を拝借。

長谷川集平氏とは、なかなか不思議なご縁で、30年前のある日、高円寺の銭湯で再会した。

長谷川集平氏は僕と同じく姫路市出身の先輩。
氏の弟君が僕の高校の後輩だったり、ともに姫路のローカルな音楽シーンに
関わっていたりということで、それとなく面識はあった。
その後氏は上京、武蔵野美術大学に進んだが、
絵本「はせがわくんきらいや」を発表、創作えほん新人賞を獲得し、世の注目を集める事になる。
それを風のうわさで聞きながら、僕はレコード屋のバイトに精を出す日々をすごしていた。
で、なぜかある日、そんな二人が通っていた銭湯でばったり出くわすことになる。
お互い裸で「ええーーーっ!!なんでこんな所に!?」状態で再会した我々、
後で事情がわかれば、たまたま共に近くに住んでいた訳なんだけれども、
偶然といえばなんたる偶然、、、、、
ま、でも、縁とはそういうもんでしょう、、、、ね。

さて、その後、僕もマンガを描いたり、イラストの仕事を始めたりする訳であるが、
それについても、集平ちゃんには本当にいろいろとお世話になった。
印刷などのノウハウがまったくない僕に、イラスト入稿の仕方を一から教えていただいたり、
新人イラストレータ発掘をする雑誌を紹介してもらったり、、、と
ほんと、ここではとても書きつくせない程お世話になった。
ほんとうにありがとうございます。

長谷川集平氏はその後、東京から長崎に居を移し、現在も絵本を描いたり、バンド活動をしたりしておられる様子。
久しぶりにお会いしたいなあ、、、、。

2009/09/29

久里洋二「アニメテックな世界」展

旧友マキシマ氏に誘われて、彼の師匠であるアート・アニメーションの巨匠
久里洋二先生の個展「アニメテックな世界」のオープニングパーティに行く。

会場は、遊び心あふれる仕掛け付き絵画の作動スイッチを押しながら
みんなニコニコと作品をながめているという、ヒジョーにピースフルな雰囲気。

また、新作アニメーション作品「HUMAN CRAZY」も上映された。
シュールでサイケでポップなショートアニメーションが、
ノイジーなサウンドコラージュとともに、次々に繰り広げられる。

うーーーん、これです。これがクリヨージ!
子どもの頃からどきどきしながら、こっそり見ていた「11PM」、
その終盤近くに紹介される「コージマチのムジナ」のアニメコーナー、、、、
難解でポップでなおかつお色気で、、、、と
小さな子どものノーミソをグシャグシャに引っ掻き回した、
これがクリヨージ・ワールドです!
いつも、最後の方は、CMで切れちゃうんだよね、、、、。

と、楽しいひと時を過ごさせてもらったが、
尊敬するイラストレータ、古川タクさんを紹介してもらい、
しばらくお話をさせていただいたのにも大感激でした。

2009/09/26

ATOM

昨日行われた試写会で、一足早く映画「ATOM」を見てきた。

で、結論から言うと、なかなかよく出来ています。

長いこと手塚プロの仕事をやっているからという訳でもないけど、
当然ながら、手塚治虫の代表作「鉄腕アトム」にはそれなりの思い入れがある。
2003年の3回めのアニメーション化、テレビ放映時には、
公式サイト「Astroboy.jp」の制作をやらせてもらったりしたのを筆頭に、
それこそ様々なアトムがらみの仕事をしてきたもんね。
もちろん、それだけではなく、やっぱり鉄腕アトムが好きなのだ。
毎年行われる手塚プロ忘年会では、着ぐるみアトムと一緒に写真撮ってもらうのが、
ほとんど恒例となっているもんねえ、、、。

さて、そんな大好きなアトムが
ハリウッド映画(製作は香港のプロダクション)、それもフルCG映画に、、、。
はたして、どんな感じになっているのか、楽しみなような、怖いような、、、
というのが事前の正直な思いだった。
もちろん、アトムと言えば日本の国民的キャラクターであるからして、
僕だけではなく、ほとんどの皆さんが、同じくこんな風に感じているのではないかと思う。

で、前述の結論です。
なかなか、よく出来ている。

最初、CG化されたアトムやテンマ博士のキャラクター設定が
「やっぱアメリカ向けなのかなあ?ちょと違うよなあ、、、」ってな感じで
ちょっと馴染みにくかったのだが、それも時間の問題。
見進めるうちにほとんど気にならなくなり、
わりと素直な作りのこの映画に、ぐいぐい引き込まれてしまった。
たたみかける演出はいかにもハリウッド方式って感じ。

以前、この映画の監修、宣伝プロデューサーを務める眞さんから
キャラクターや背景設定のためのブックレットを見せてもらったことがあって、
その時から、背景の世界感(メトロシティ)や脇のロボットのデザインがかわいくて
それも楽しみにしていたのだが、大丈夫、裏切られなかった。
このへんはやっぱ上手いよなー。

あと、なにより製作サイドの人たちが、
アトムを見て育ち、アトムを愛してるんだろうな、、、という事が
感じられる作品になっていると思う。
やっぱアトムの存在自体がワールドワイドなんだね。


追記としては、今回見たのが日本語吹き替えバージョンだったので、
ニコラス・ケイジ(テンマ博士)フレディ・ハイモア(アトム)等の
そうそうたるキャスティングによる声の出演を楽しめなかったのは、ちょっと残念。
で、日本語版吹き替えの上戸彩が、意外にもうまくてビックリ。
ほら、よくあるでしょ、フキカエにその時旬の女優俳優を使ったりすると
どうしても、その人の顔がちらついて、感情移入が出来なかったり
もしくは、とりあえず使った有名人吹き替えのため、
あまりにもヘタッピで作品を台無しにしてしまう、、、ってことが。
でも、そういうネガティブな要素が彼女の吹き替えには感じられず、わりとハマっていました。
テンマ博士の役所広司はイマイチ、、、かな。


脇役の旧式巨大ロボットZOG。声はサミュエル・エル・ジャクソンです。

2009/09/25

秋の気配

ここ数年、すっかり早起き生活になってしまった。

とくに夏は日の出が早いので、それに合わせてだいたい4時くらいに起きることになる。

漆黒の夜が終わり、だんだん明るくなる夜明け前のひと時、
この「しん」とした時間がなんとも言えず、好きなのだ。
それに、この時間に起きて、外の気配に耳をそばだてていると、
日々、季節がゆっくりと移り変わっていくのが、手に取るように感じられる。
以前はもっぱら夜型の生活で、この時間を一日の最後の時間としてすごしてきた訳なんだけど、
そのときはそんな事、ちっとも感じなかった。
なんだか、ちょっと不思議ですね。

で、秋分の日もすぎて、だんだん夜明けが遅くなってきた。
日中はまだ暑い日もあるけど、朝はすっかり秋の気配です。

早起きしてこんな絵を描いたりしています

2009/09/19

イラテックタマテックイラテック

むかしむかし、、、
僕がまだイラストとかマンガとか仕事を本格的に始めるちょっと前、
つまり「奥平イラ(ペンネーム)」になる前のこと、
当時仲良く遊んでいた友人と一緒に、多摩テックにゴーカートに乗りにいったことがある。
友人とは、こちらもイラストレータ、マンガ家になる前の
「スージー甘金(これも、もちろんペンネーム)」氏であった。

三鷹育ちのスージー氏によると、東京多摩地区の子供たちにとって
多摩テックはパラダイスであり聖地であり、
なかでも、その目玉遊具ゴーカートは、まさしく夢の乗り物であったとのこと、、、。
なかなかに大げさな表現ではあったが、
そんな夢のような楽しさなら、それは是非体験してみなければ(笑)、、、と
我々は多摩テックに出かけていったのであった。

多摩テックというのは、東京都日野市にある遊園地、
自動車メーカーのホンダがモータースポーツの遊園地として1961年に開業した。
ホンダのエンジンを搭載したゴーカートやバイクのアトラクションで人気を博し、
それこそ昭和の子供たち(特に男の子)の心を、グワシとワシ掴みにしていたらしい。

さて、こん時の多摩テックの思い出なのだが、これがいまひとつハッキリと思い出せない。
スージー氏には悪いが、きっと僕にとっては、
そんなに夢のような体験でもなかったのではないか、と思われる。
だが、この「多摩テック」という遊園地のネーミングは、当時の僕の心に強烈に残ったようで
「タマテックタマテックタマテック、、、かっこいいよなタマテック、
タマでテックだよタマテック」
当時、テクノポップにいかれていた僕は、
ゴーカートに揺られながら呪文のようにそう呟いていたのだった。

その後、この仕事を始めた僕のところに、
月刊「宝島」で音楽コラムを連載してみないかという依頼があった。
初めての文筆の仕事を喜んで引き受けた僕は、
そのタイトルをなんてつけたらいいものか、としばらく悩んでいたのだが、、、、
そんな脳裏に、ふとしたきっかけで、この数年前の呪文が蘇った。
「タマテックタマテックタマテック、、、タマでテックだよタマテック、
イラでテックだよイラテック」
こうして世の中にイラテックという言葉が生まれた。
コラムのタイトルはめでたく「イラテック」と命名されたのだった。

そのまた数年後、今度は会社を設立した時のこと、
このネーミングを気に入っていた僕は、その社名もイラテックにしてしまったというから勢いとは恐ろしい。
今度は株式会社イラテックの誕生である。

今でこそ、アイテー系だのベンチャー系だので掃いてすてるほどある○○テックという社名ではあるが、
26年前の当時はそんな名称はほとんどなく
「イラテック?、なんです、それ?」と結構みんなに言われたものだった。
上記の雰囲気を説明するのも面倒なので、ほとんど笑ってごまかしてきたのだが、、、。

さて、そんなこんなで数十年、、、
あのときゴーカートに乗りつつ、頭の中にふと浮かんだ言葉が
こうして今でも社名として残っていて、
電話に出るときなんかに「はいイラテックでーす」とかいってまだ使われている。
なんだか、ちょっと不思議。
ま、でも、ネーミングの由来なんて意外にこんなもんです、というのが、今回のお話。
お粗末。


、、ところが、この話には少し続きがあって、、、、

先日テレビを見ていたら、多摩テックがなくなってしまうというニュースが流れてきて驚いてしまった。
なんでも今月いっぱいで48年間の歴史に幕を下し、閉園してしまうらしい、、、。
閉園を惜しむ昭和の子供たちが、今度は自分たちの子供たちを連れて訪れ
なかなかのにぎわいを見せているというのがニュースの内容だった。

なんだか、ちょっと、寂しい気がするのは僕だけではないようだ。

さようなら、タマテック、、、君の無き後はイラテックが、きっと守っていくからね、、、
安心しておやすみ、、、、、。

なにを守るんだか、よくわかんないんだけれど、、、。


これが宝島1980年8月号に掲載された音楽コラム「イラテック」の第一回目

2009/09/17

山の上の月

誰もが、なんの策略もめぐらさず、
そんなにたいした苦労をすることもなく、
年に一度は必ず得られるものの一つに、誕生日がある。
ありがたいことです。

もちろん、その誕生日を得るきっかけとなった数十年前の夜には
両親の間でなんらかの策略とそれなりの苦労があったのかは、知らないけれど、、、ね。

さて、もう10日も過ぎてしまって、今更ブログの話題でもないのだけれども、
そんな誕生日を今年もなんとか無事に得ることが出来た。
本当はそれだけでもずいぶん感謝すべきことなんだけれども、
朝起きたらあまりに良い天気なもんだから急に思い立ち、
寝不足の2号に無理を言って、急場仕立ての小旅行に付き合ってもらった。

という訳で誕生日の夜は
丹沢の山の上で迎えた。

母親の話によると、僕が生まれたのは夜の8時過ぎだったとのこと。
ちょうどそのくらいの時間に
ふと夜空を見上げる。

見上げると、月がきれい。

ありがたいこってす。


写真を撮ろうとすると月にムラ雲が、、、

2009/09/04

ジャングル大帝

7月に公開された「MW」、10月に公開されるハリウッドCG版鉄腕アトムの「ATOM」、
それから今週末、フジテレビで放送されるアニメ「ジャングル大帝」と、
たてつづけに手塚治虫作品がリメイクされ、話題を集めている。
手塚ファンとしてはうれしいばかりではないだろうか。

さて、その「ジャングル大帝」、、、。
僕には、数ある手塚治虫作品の中でも、「ジャングル大帝」にちょっとした思い入れがある。
というのも、ある時期、この「ジャングル大帝」という作品と、けっこう長い時間、面と向かって付き合っていたからなのだった。
レオと向き合い一年半。

つーと、ちょっと、なんかもったいつけているが、
実は、「ジャングル大帝」を題材にしたゲームの仕事を、1年半にわたってやっていたことがあるのだった。
一年半というけっこう長い期間、レオのことや、トミーのことや、ココのことや、パンジャのことや、サバンナのことや、ジャングルのことや、フラミンゴのことや、マンドリルのことや、ムーン山のこと、、、
そんなこんなを頭に描き続けていたような思い出がある。

ゲームはN社から発売される予定であった。
だが、ちょうどその時期、様々なゲーム機のプラットフォームが次々に現れては消えるという過度期だったことも一因して、なかなかうまく開発が進まず、結局そのゲームは完成を見ることもなく中断してしまった。
僕はそのゲームのアートディレクション、キャラクターの設定や、
背景デザインなどなどを担当していて、結構いろいろと面白いことをやらせてもらっていたのだが、
それらは結局、日の目をみることなく終わってしまった。
うーーーーん、今、考えてもちょっと残念、、、。
その時の設定画とかをたまに見たりすると、なんかもったいないなあ、、、と思ってしまう。

ま、そんなことを思い出しつつ、、、、
明日放送の「ジャングル大帝」を楽しみにしている。
僕らがその開発に関わったゲームもそうだったけど、「ジャングル大帝」を題材にはしているものの、ぜんぜん原作とは違ったものになっているらしい。
それもまた、ある意味楽しみではある。



僕が当時描いていたレオのスケッチ、、、、でんでん、似てない、、、、

2009/09/01

イラ麦畑でつかまえます

今回のリニューアルにあたり、昔の仕事とかを整理していて、今更ながら「へええー」と感じいってしまった。
というのも、僕が最初にインターネットの仕事、今でいうウェブサイトの制作をやったのが1996年というから、じつに13年前のことになるらしい、、、。

13年スよ、13年。
おぎゃーと生まれた赤ン坊が、ニキビ面の中坊になって
「なあ、かあちゃん、小遣いくれよお、、くれなきゃ、オレグレちゃうからね、、」
といっぱしの不良ぶってスゴみ始めてもおかしくないような年月だ。
・・・・ああ13年。

その当時僕は、富士通の人工生命ソフト「TEO」のアートディレクションというのをやっていて、そのホームページ(当時はこう言いました)を制作したのが、このネットの大海原に漕ぎ出した最初の体験ということになる。ざっぱあーん。
たぶん、その計画や作業自体の立ち上がりは95年くらいから始まったんだと思うけど、なんせウェブ制作は初めてだし、何をどうやっていいものかも分からないわ、その時代まだ周りに助言をもとめられる人もいないわで、当初は本当に苦労した。
たぶん、苦労したんだろうと思う。
したに違いない、、、、。

と、ついつい、うやむやになっちゃうんだけれど、、、、
というのも本当のことを言うと、そのへんの記憶があいまいで、あんまし苦労したという記憶はないのでした。

ただ、それよりも、新しいメディアに挑戦するというわくわくした感じ、新しい時代が始まろうとしているキラキラ感は、実によく覚えている。
なんせ、昔から新しいものが大好きなのだ。
「これからはインターネットだっ!!」と、かなり入れ込んで盛り上がってたんではないかと思う。
それが証拠にその勢いで同年、次々とホームページ制作の仕事に携わっている。
音楽事務所アミューズのホームページ立ち上げに関わり、その年の11月3日には、現在も続く仕事になる手塚治虫公式サイトもオープンさせている。

で、そんなこんなで13年。
ネットの世界もムチャクチャ、様変わりしてしまいました。
牛が道端で草を食んでいるような牧歌的な農村地帯が、いきなり、縦横に高速道路が走り摩天楼が天をつく未来都市へと変貌しちゃったみたいな感じ。
もうあんまり、道端でのんびり立ち話をしているような時代ではなくなってしまったのね、きっと。

さて、のっけから、ホコリをかぶったような昔話で恐縮です。

でも、せっかくサイトもリニューアルし、長年やらなければ、、、と思い続けてきた作品のアーカイブ化、ネット上での公開も始めたばっかりなので、このブログではそんな過去の仕事にかかわる昔話も、どんどん書いていこうと思っています。
昔ながらの道端でのんびりと立ち話をしてるような感じで、、、、。

それに今書いておかないと、僕も、どんどん、忘れちゃうからねえ、、、。


前述の理由から、というわけでもないのですがリニューアル一発目のトップ画像は、のどかな夕暮れの風景写真。撮影は私。
トップの画像もこれから、どんどん変えていきます。