2009/09/29

久里洋二「アニメテックな世界」展

旧友マキシマ氏に誘われて、彼の師匠であるアート・アニメーションの巨匠
久里洋二先生の個展「アニメテックな世界」のオープニングパーティに行く。

会場は、遊び心あふれる仕掛け付き絵画の作動スイッチを押しながら
みんなニコニコと作品をながめているという、ヒジョーにピースフルな雰囲気。

また、新作アニメーション作品「HUMAN CRAZY」も上映された。
シュールでサイケでポップなショートアニメーションが、
ノイジーなサウンドコラージュとともに、次々に繰り広げられる。

うーーーん、これです。これがクリヨージ!
子どもの頃からどきどきしながら、こっそり見ていた「11PM」、
その終盤近くに紹介される「コージマチのムジナ」のアニメコーナー、、、、
難解でポップでなおかつお色気で、、、、と
小さな子どものノーミソをグシャグシャに引っ掻き回した、
これがクリヨージ・ワールドです!
いつも、最後の方は、CMで切れちゃうんだよね、、、、。

と、楽しいひと時を過ごさせてもらったが、
尊敬するイラストレータ、古川タクさんを紹介してもらい、
しばらくお話をさせていただいたのにも大感激でした。

2009/09/26

ATOM

昨日行われた試写会で、一足早く映画「ATOM」を見てきた。

で、結論から言うと、なかなかよく出来ています。

長いこと手塚プロの仕事をやっているからという訳でもないけど、
当然ながら、手塚治虫の代表作「鉄腕アトム」にはそれなりの思い入れがある。
2003年の3回めのアニメーション化、テレビ放映時には、
公式サイト「Astroboy.jp」の制作をやらせてもらったりしたのを筆頭に、
それこそ様々なアトムがらみの仕事をしてきたもんね。
もちろん、それだけではなく、やっぱり鉄腕アトムが好きなのだ。
毎年行われる手塚プロ忘年会では、着ぐるみアトムと一緒に写真撮ってもらうのが、
ほとんど恒例となっているもんねえ、、、。

さて、そんな大好きなアトムが
ハリウッド映画(製作は香港のプロダクション)、それもフルCG映画に、、、。
はたして、どんな感じになっているのか、楽しみなような、怖いような、、、
というのが事前の正直な思いだった。
もちろん、アトムと言えば日本の国民的キャラクターであるからして、
僕だけではなく、ほとんどの皆さんが、同じくこんな風に感じているのではないかと思う。

で、前述の結論です。
なかなか、よく出来ている。

最初、CG化されたアトムやテンマ博士のキャラクター設定が
「やっぱアメリカ向けなのかなあ?ちょと違うよなあ、、、」ってな感じで
ちょっと馴染みにくかったのだが、それも時間の問題。
見進めるうちにほとんど気にならなくなり、
わりと素直な作りのこの映画に、ぐいぐい引き込まれてしまった。
たたみかける演出はいかにもハリウッド方式って感じ。

以前、この映画の監修、宣伝プロデューサーを務める眞さんから
キャラクターや背景設定のためのブックレットを見せてもらったことがあって、
その時から、背景の世界感(メトロシティ)や脇のロボットのデザインがかわいくて
それも楽しみにしていたのだが、大丈夫、裏切られなかった。
このへんはやっぱ上手いよなー。

あと、なにより製作サイドの人たちが、
アトムを見て育ち、アトムを愛してるんだろうな、、、という事が
感じられる作品になっていると思う。
やっぱアトムの存在自体がワールドワイドなんだね。


追記としては、今回見たのが日本語吹き替えバージョンだったので、
ニコラス・ケイジ(テンマ博士)フレディ・ハイモア(アトム)等の
そうそうたるキャスティングによる声の出演を楽しめなかったのは、ちょっと残念。
で、日本語版吹き替えの上戸彩が、意外にもうまくてビックリ。
ほら、よくあるでしょ、フキカエにその時旬の女優俳優を使ったりすると
どうしても、その人の顔がちらついて、感情移入が出来なかったり
もしくは、とりあえず使った有名人吹き替えのため、
あまりにもヘタッピで作品を台無しにしてしまう、、、ってことが。
でも、そういうネガティブな要素が彼女の吹き替えには感じられず、わりとハマっていました。
テンマ博士の役所広司はイマイチ、、、かな。


脇役の旧式巨大ロボットZOG。声はサミュエル・エル・ジャクソンです。

2009/09/25

秋の気配

ここ数年、すっかり早起き生活になってしまった。

とくに夏は日の出が早いので、それに合わせてだいたい4時くらいに起きることになる。

漆黒の夜が終わり、だんだん明るくなる夜明け前のひと時、
この「しん」とした時間がなんとも言えず、好きなのだ。
それに、この時間に起きて、外の気配に耳をそばだてていると、
日々、季節がゆっくりと移り変わっていくのが、手に取るように感じられる。
以前はもっぱら夜型の生活で、この時間を一日の最後の時間としてすごしてきた訳なんだけど、
そのときはそんな事、ちっとも感じなかった。
なんだか、ちょっと不思議ですね。

で、秋分の日もすぎて、だんだん夜明けが遅くなってきた。
日中はまだ暑い日もあるけど、朝はすっかり秋の気配です。

早起きしてこんな絵を描いたりしています

2009/09/19

イラテックタマテックイラテック

むかしむかし、、、
僕がまだイラストとかマンガとか仕事を本格的に始めるちょっと前、
つまり「奥平イラ(ペンネーム)」になる前のこと、
当時仲良く遊んでいた友人と一緒に、多摩テックにゴーカートに乗りにいったことがある。
友人とは、こちらもイラストレータ、マンガ家になる前の
「スージー甘金(これも、もちろんペンネーム)」氏であった。

三鷹育ちのスージー氏によると、東京多摩地区の子供たちにとって
多摩テックはパラダイスであり聖地であり、
なかでも、その目玉遊具ゴーカートは、まさしく夢の乗り物であったとのこと、、、。
なかなかに大げさな表現ではあったが、
そんな夢のような楽しさなら、それは是非体験してみなければ(笑)、、、と
我々は多摩テックに出かけていったのであった。

多摩テックというのは、東京都日野市にある遊園地、
自動車メーカーのホンダがモータースポーツの遊園地として1961年に開業した。
ホンダのエンジンを搭載したゴーカートやバイクのアトラクションで人気を博し、
それこそ昭和の子供たち(特に男の子)の心を、グワシとワシ掴みにしていたらしい。

さて、こん時の多摩テックの思い出なのだが、これがいまひとつハッキリと思い出せない。
スージー氏には悪いが、きっと僕にとっては、
そんなに夢のような体験でもなかったのではないか、と思われる。
だが、この「多摩テック」という遊園地のネーミングは、当時の僕の心に強烈に残ったようで
「タマテックタマテックタマテック、、、かっこいいよなタマテック、
タマでテックだよタマテック」
当時、テクノポップにいかれていた僕は、
ゴーカートに揺られながら呪文のようにそう呟いていたのだった。

その後、この仕事を始めた僕のところに、
月刊「宝島」で音楽コラムを連載してみないかという依頼があった。
初めての文筆の仕事を喜んで引き受けた僕は、
そのタイトルをなんてつけたらいいものか、としばらく悩んでいたのだが、、、、
そんな脳裏に、ふとしたきっかけで、この数年前の呪文が蘇った。
「タマテックタマテックタマテック、、、タマでテックだよタマテック、
イラでテックだよイラテック」
こうして世の中にイラテックという言葉が生まれた。
コラムのタイトルはめでたく「イラテック」と命名されたのだった。

そのまた数年後、今度は会社を設立した時のこと、
このネーミングを気に入っていた僕は、その社名もイラテックにしてしまったというから勢いとは恐ろしい。
今度は株式会社イラテックの誕生である。

今でこそ、アイテー系だのベンチャー系だので掃いてすてるほどある○○テックという社名ではあるが、
26年前の当時はそんな名称はほとんどなく
「イラテック?、なんです、それ?」と結構みんなに言われたものだった。
上記の雰囲気を説明するのも面倒なので、ほとんど笑ってごまかしてきたのだが、、、。

さて、そんなこんなで数十年、、、
あのときゴーカートに乗りつつ、頭の中にふと浮かんだ言葉が
こうして今でも社名として残っていて、
電話に出るときなんかに「はいイラテックでーす」とかいってまだ使われている。
なんだか、ちょっと不思議。
ま、でも、ネーミングの由来なんて意外にこんなもんです、というのが、今回のお話。
お粗末。


、、ところが、この話には少し続きがあって、、、、

先日テレビを見ていたら、多摩テックがなくなってしまうというニュースが流れてきて驚いてしまった。
なんでも今月いっぱいで48年間の歴史に幕を下し、閉園してしまうらしい、、、。
閉園を惜しむ昭和の子供たちが、今度は自分たちの子供たちを連れて訪れ
なかなかのにぎわいを見せているというのがニュースの内容だった。

なんだか、ちょっと、寂しい気がするのは僕だけではないようだ。

さようなら、タマテック、、、君の無き後はイラテックが、きっと守っていくからね、、、
安心しておやすみ、、、、、。

なにを守るんだか、よくわかんないんだけれど、、、。


これが宝島1980年8月号に掲載された音楽コラム「イラテック」の第一回目

2009/09/17

山の上の月

誰もが、なんの策略もめぐらさず、
そんなにたいした苦労をすることもなく、
年に一度は必ず得られるものの一つに、誕生日がある。
ありがたいことです。

もちろん、その誕生日を得るきっかけとなった数十年前の夜には
両親の間でなんらかの策略とそれなりの苦労があったのかは、知らないけれど、、、ね。

さて、もう10日も過ぎてしまって、今更ブログの話題でもないのだけれども、
そんな誕生日を今年もなんとか無事に得ることが出来た。
本当はそれだけでもずいぶん感謝すべきことなんだけれども、
朝起きたらあまりに良い天気なもんだから急に思い立ち、
寝不足の2号に無理を言って、急場仕立ての小旅行に付き合ってもらった。

という訳で誕生日の夜は
丹沢の山の上で迎えた。

母親の話によると、僕が生まれたのは夜の8時過ぎだったとのこと。
ちょうどそのくらいの時間に
ふと夜空を見上げる。

見上げると、月がきれい。

ありがたいこってす。


写真を撮ろうとすると月にムラ雲が、、、

2009/09/04

ジャングル大帝

7月に公開された「MW」、10月に公開されるハリウッドCG版鉄腕アトムの「ATOM」、
それから今週末、フジテレビで放送されるアニメ「ジャングル大帝」と、
たてつづけに手塚治虫作品がリメイクされ、話題を集めている。
手塚ファンとしてはうれしいばかりではないだろうか。

さて、その「ジャングル大帝」、、、。
僕には、数ある手塚治虫作品の中でも、「ジャングル大帝」にちょっとした思い入れがある。
というのも、ある時期、この「ジャングル大帝」という作品と、けっこう長い時間、面と向かって付き合っていたからなのだった。
レオと向き合い一年半。

つーと、ちょっと、なんかもったいつけているが、
実は、「ジャングル大帝」を題材にしたゲームの仕事を、1年半にわたってやっていたことがあるのだった。
一年半というけっこう長い期間、レオのことや、トミーのことや、ココのことや、パンジャのことや、サバンナのことや、ジャングルのことや、フラミンゴのことや、マンドリルのことや、ムーン山のこと、、、
そんなこんなを頭に描き続けていたような思い出がある。

ゲームはN社から発売される予定であった。
だが、ちょうどその時期、様々なゲーム機のプラットフォームが次々に現れては消えるという過度期だったことも一因して、なかなかうまく開発が進まず、結局そのゲームは完成を見ることもなく中断してしまった。
僕はそのゲームのアートディレクション、キャラクターの設定や、
背景デザインなどなどを担当していて、結構いろいろと面白いことをやらせてもらっていたのだが、
それらは結局、日の目をみることなく終わってしまった。
うーーーーん、今、考えてもちょっと残念、、、。
その時の設定画とかをたまに見たりすると、なんかもったいないなあ、、、と思ってしまう。

ま、そんなことを思い出しつつ、、、、
明日放送の「ジャングル大帝」を楽しみにしている。
僕らがその開発に関わったゲームもそうだったけど、「ジャングル大帝」を題材にはしているものの、ぜんぜん原作とは違ったものになっているらしい。
それもまた、ある意味楽しみではある。



僕が当時描いていたレオのスケッチ、、、、でんでん、似てない、、、、

2009/09/01

イラ麦畑でつかまえます

今回のリニューアルにあたり、昔の仕事とかを整理していて、今更ながら「へええー」と感じいってしまった。
というのも、僕が最初にインターネットの仕事、今でいうウェブサイトの制作をやったのが1996年というから、じつに13年前のことになるらしい、、、。

13年スよ、13年。
おぎゃーと生まれた赤ン坊が、ニキビ面の中坊になって
「なあ、かあちゃん、小遣いくれよお、、くれなきゃ、オレグレちゃうからね、、」
といっぱしの不良ぶってスゴみ始めてもおかしくないような年月だ。
・・・・ああ13年。

その当時僕は、富士通の人工生命ソフト「TEO」のアートディレクションというのをやっていて、そのホームページ(当時はこう言いました)を制作したのが、このネットの大海原に漕ぎ出した最初の体験ということになる。ざっぱあーん。
たぶん、その計画や作業自体の立ち上がりは95年くらいから始まったんだと思うけど、なんせウェブ制作は初めてだし、何をどうやっていいものかも分からないわ、その時代まだ周りに助言をもとめられる人もいないわで、当初は本当に苦労した。
たぶん、苦労したんだろうと思う。
したに違いない、、、、。

と、ついつい、うやむやになっちゃうんだけれど、、、、
というのも本当のことを言うと、そのへんの記憶があいまいで、あんまし苦労したという記憶はないのでした。

ただ、それよりも、新しいメディアに挑戦するというわくわくした感じ、新しい時代が始まろうとしているキラキラ感は、実によく覚えている。
なんせ、昔から新しいものが大好きなのだ。
「これからはインターネットだっ!!」と、かなり入れ込んで盛り上がってたんではないかと思う。
それが証拠にその勢いで同年、次々とホームページ制作の仕事に携わっている。
音楽事務所アミューズのホームページ立ち上げに関わり、その年の11月3日には、現在も続く仕事になる手塚治虫公式サイトもオープンさせている。

で、そんなこんなで13年。
ネットの世界もムチャクチャ、様変わりしてしまいました。
牛が道端で草を食んでいるような牧歌的な農村地帯が、いきなり、縦横に高速道路が走り摩天楼が天をつく未来都市へと変貌しちゃったみたいな感じ。
もうあんまり、道端でのんびり立ち話をしているような時代ではなくなってしまったのね、きっと。

さて、のっけから、ホコリをかぶったような昔話で恐縮です。

でも、せっかくサイトもリニューアルし、長年やらなければ、、、と思い続けてきた作品のアーカイブ化、ネット上での公開も始めたばっかりなので、このブログではそんな過去の仕事にかかわる昔話も、どんどん書いていこうと思っています。
昔ながらの道端でのんびりと立ち話をしてるような感じで、、、、。

それに今書いておかないと、僕も、どんどん、忘れちゃうからねえ、、、。


前述の理由から、というわけでもないのですがリニューアル一発目のトップ画像は、のどかな夕暮れの風景写真。撮影は私。
トップの画像もこれから、どんどん変えていきます。