2011/12/02

12月の思い違い

トップページの画像を更新。
「かがなべて、よにはここのよ、ひにはとをかを」

こうして日々を数えてみると、夜では九夜、日では十日にもなる、、、
みたいな意味か。

語呂がよかったからか、なんとはなくこの句を長いことおぼえていて、
たまに心の中でつぶやいてみたりしていた。

若い頃読んだ詩集で目にしたことがあるような気がしていたので、
てっきり金井美恵子の言葉だと思い込んでいた。
(あやふやな記憶)

恋する乙女が窓辺に佇み、
「ああ、あの人に会えない日々がこうして過ぎてゆく。
もう、夜には九夜、日には十日も経ってしまった、、、。」
みたいなイメージをなんとはなく、頭の中に描きながら、、、。
(いーかげんなイメージ)

でも、全然違ってた。

正しくは日本書紀、ヤマトタケルの歌にかえした歌であるという。

日本武尊(やまとたけるのみこと) が問う
「新治(にひばり)筑波(つくば)を過ぎて 幾夜(いくよ)か寝つる」
御火焼翁(みひたきのおきな)、それに返して
「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」

ちなみに、これが連歌の起源とな。

天皇の命令でエゾ制圧に行って来たタケル皇子、
大暴れして帰る道すがら、
「ああ疲れた、やっと新治と筑波(茨城)過ぎたけど、
もお、どんだけたったんだ?」
たき火係のジジイすかさず
「そりゃ親方、九晩十日でさあ」
みたいな感じか。

全然、恋する乙女じゃなかったね。

という事で12月。
ちなみに、上記の歌は、12月とも
てきとうに描いた鳥の絵とも、なんの関係もない。

2011/11/22

ありがとう Keith kenniff

テレビを見ていたら、CMから聞き慣れた音楽が流れ出してきてはっとした。
驚いたのは、それがKeith kenniffの「Goldengrove v2」だったからだ。
この曲はKeith kenniffが今年の1月頃ネットで発表した曲(SoundCloudで公開した)。
1分半くらいと短い曲ながらも、マイケル・ナイマンや
フィリップ・グラスを可愛らしくした感じの曲調で、
またヤン・ティルセン(アメリ!)もばっちりと彷彿とさせ、
この手の叙情派ミニマル音楽が好きな人にとっては、たまらない出来上がりとなっている。

広告の主はiPhone4sだ。
アップルのCM音楽のセンスがいいのは、今に始まった話ではないが
それでもKeith kenniffの起用にはちょっとドキドキしてしまった。


元の曲はこちら。
  Orchestral - "Goldengrove v2" by unseenmusic


Keith kenniffはアメリカ、ポートランドのエレクトロニカ系ミュージシャン。
様々な名義やユニットを使い分け、多才な音楽作品を生み出し続けている。
アンビエント感ただようエレクトロニックサウンドのHelios名義が一番有名か。
他に、ポスト・クラシカルのフィールドに入るであろうシンプルなピアノ作品を生み出すGoldmund。
奥さんのHollie Kenniffと組んだMint Julepでは、
彼女のボーカルをフィーチャーしたシューゲイザー的エレクトロポップ。
また、Keith kenniff本名ではサウンドトラックなども手がけている。
実に多才ですね。

さて、Keith kenniffと言えば忘れてはならないのが、
今年6月に発売されたコンピレーションアルバム「For Nihon」だ。
彼は3月11日の日本での地震直後、すぐさま「Nihon」というピアノ曲をネットで発表し、
世界に震災への支援を広く呼びかけた。
これだけても素晴らしいのだが、
さらに彼は妻のHollieと共に様々なミュージシャンに呼びかけ、
このコンピレーション「For Nihon」を完成させ、まずネット配信、それからCDでの発売を行った。
参加したミュージシャンは世界中のアンビエント、エレクトロニカ、ポスト・クラシカルの音楽家達38組、
Rhian Sheehan、Dustin O'Halloran、Ryuichi Sakamoto、Max Richter、
Olafur Arnalds、Peter Broderick、Alva Noto、、、等など。
もちろん、Keith kenniff自身も前述の様々な名義で参加している。
このアルバムの収益金は、ニューヨークに設立されたNPOジャパン・ソサエティーの
Japan Earthquake Relief Fundに100%寄付される、とのこと。

震災のチャリティーで出来上がったというのが、なんとも皮肉ではあるが、
それにしても、この「For Nihon」
文句なしに素晴らしいコンピレーションアルバムである。

どの曲もどの曲も、
あたたかく、やさしく、そして美しい、、、。

ありがとう。Keith kenniff。

2011/11/18

昔のイラストの話

昨日、番組制作会社から電話がかかってきた。
なんでも1983年6月28日号の週刊プレイボーイ誌の記事を番組内で紹介したいとのことで、
その放送許諾の依頼電話であった。
記事の内容は「童貞喪失レポート」というものであり、
そこに僕がイラストをつけているらしい。
へー、そんな仕事してたのかあ、、、
まったく、覚えていないけど。
そう言えば、あの頃は、週刊プレイボーイや、ホットドッグプレス、
求人タイムスやギャルズライフ、SFアドベンチャーや宝島、微笑に小説現代、、、と、
実に様々な雑誌に、実に無節操に、実に雑多なカットやイラストを描いたもんだ。
、、、と、しばし思い出にふける。

さて、番組は「ジョージ・ポットマンの平成史」という
テレビ東京の教養番組風パロディー情報番組らしい。
これも、まったく知らない。

だが、別に断ることでもないと判断、了承しておいた。

放送は来週26日、もしくは再来週3日の夜になるとのこと。
ふーん。

で、とりあえず手元にあった80年代当時のイラストをひっぱり出してみる。
掲載誌は忘れてしまったが、わりと固めの雑誌で本の特集に入れるカットだったと思う。
ちなみに、これはけっこーマジメなタッチだけど、
ふざけたモノや、雑でヘタッピなものを、恐れも知らずいっぱい描いていた気がする。
放送されるのは、多分、そおゆうの、、、、だと思う。

先方の「クレジットを出しましょうか?」との配慮に、
即座に「結構です」と答えてしまった。

2011/09/15

Top Page Image Update

 ひさしぶりにトップページを更新。

2011/09/12

この家はむかし

この家は昔、大正末期から昭和初期に建てられたものだ。
東京で小さな会社を経営する人物が、ここに住む親戚から土地の一部を譲り受け
別荘として、この小さな家を建てたのだという。

一宮という土地はかつて「東の大磯」と称され、
明治後期から昭和の初期にかけて、各界名士の別荘が数多くあったらしい。
政界財界のお歴々が競って別荘を作り、そんな場所に惹かれるように
漱石、芥川などの文人らも集まってくる。
また有名人たちにあやかろうと一般の人も多く夏の観光に訪れる。
東京からそれほど離れていないわりには、
おいしい空気と、青松白砂がひろがる風光明媚な海岸。
それに何より、のんびりとした土地柄が当時の人々を惹き付け、
ちょっとした文化的なリゾート地として知られていたのだという。

さてそんな時代、一宮といってもその一番南の端っこ、
別荘地エリアからは遠く離れた、やや内陸よりの場所にこの家は建てられた。
(当時は一宮ではなく隣の東浪見村)

それでも海まで半里、散歩で2、30分とほど近く、
長閑な田園風景を見下ろす高台となっていて、
裏に控えた竹林からは夏でも涼しい風が吹き抜け、
多少は別荘としての立地条件はあったのではないかと思われる。
また、都市部や分譲地では珍しくもないが、
土地がふんだんにあった当時にしては珍しい「旗竿型の敷地」、
つまり往来から一本私道を入って行った先に広がるこの土地の形状は、
狭いながらも完全なるプライベート空間が保たれていて、
これもその条件のひとつを満たしていたのではないかと思う。
一説によると件の社長は、ここにお妾さんを託っていたという話もあるが、
今となってはその真偽は分からない。
ただ、さもありなんと思わせる立地であり、
さもありなんと思わせるこの家の佇まいである。

玄関の三和土を上がった所が和室四畳半の応接間、押し入れを挟んでその裏に台所。
玄関からまっすぐ伸びる廊下から左に八畳と六畳の続きの居間。
その居間の周りを東南西にぐるりと回り廊下が取り囲んでいる。
南側の廊下は庭に面した縁側になっていて、
腰をかければ正面に趣向を凝らした庭を眺めることができる。
六畳の部屋には形通りに、床の間と違い棚が設えられ、
その間の聚落壁に開けられた「狆潜り」は松の意匠でくり抜かれている。
(ちんくぐり=床の間とその隣の床脇を仕切る壁に開けられた明かり取りの抜け穴)
この家では松の意匠が玄関戸の上の明かり取りにも使われていて、
このあたりの遊び心は、やはりこの家が実用本意のものではなく
別荘として建てられた所以であろう。

応接間と勝手の間には、狭くて急な階段があり、
それを使ってひと間だけの二階へと上る。
部屋は六畳の洋室になっており、正面の壁には西洋風腰板が貼られている。
東と北の壁の中央に開けられたこれも洋風の縦長窓からは、
周りを囲む竹林を眼下に見下ろすことが出来て、風通しもすこぶる良い。
また、この六畳間の天井は、よく神社仏閣に見られるような、
四隅にアールを持つ折上格天井(おりあげごうてんじょう)になっていて
和洋折衷の美、なかなかの趣きを見せている。
これも実にこの家らしい所だ。

さてこの辺りが、この建坪二十一坪の小さな家の
オリジナルな原形といったところか。

その後、年月と共にこの家には様々な建て増しと補修が加えられ、
徐々にその形を変えていくことになる。
庭先に独立していた風呂場は、台所の横に増設された屋内に収まり、
廊下の西側には、窓を潰しあと一棟の居室が増築された。
玄関脇には電動シャッターを持つ車庫も設置された。

持ち主は施主の社長から、大戦前にある若い夫婦に引き継がれた。
不幸にもこの家を購入した新婚間もない主人は、
あまりここに住むこともなくなく戦争から帰らぬ人となった。
しかし未亡人はその後もこの家で主人の両親と暮らし、
忘れ形見である一人息子を育て上げたと言う。
その間に、先の改築がこの家に加えられていったものと思われる。
やがて両親は他界し、子供は独立していった。
そして長い間、未亡人の一人暮らしが続いた。
しかし、ついに老婦人は施設に居を移す事を決意、
七十年近く暮らしたこの家を手放すことにしたのだった。

さて、そんなこの家にばったりと出会ったのが我々夫婦である。
房総での暮らしを始める為にとりあえず賃貸物件を探していた我々は、
あまりにも望んだ物件がないので、がっくりと肩を落として帰る道すがら、
偶然、この家が売り出されているのを見つけたのだった。
地元の不動産屋によって売りに出されて、わずか二日目の事であった。

初めて見たこの家は、
外壁を安っぽい木目模様のブリキで被われていたり、
あきらかに土台が傾いでいて、そのせいであちこちの立て付けが悪かったり、
周りの樹木がうっそうと生い茂り、部屋がじんめりと薄暗かったり、
場当たり的な補修を重ねた為にちぐはぐな壁の色だったり、、、、
と、様々なネガティブな要素はあったものの、
それでも、この家の佇まいが醸し出す不思議な魅力はなんとも言えず、
つまり我々の目には、とてもチャーミングな家に映ったのだった。
若干は悩んだものの、次の日にはこの家で暮らす事を我々は決意していた。

さて、そんなこんなでこの家に住み始めて一年半が経つ。

我々は変に補修された部分を、なるべくこの家本来の形にもどしたり、
それとは逆に大幅に現代的にリフォームしたりと
自分たちの使いやすいように変えていった。

たまに庭先に出て、この家を眺めてみる。
外壁を塗り直したいなあ、、、
広いデッキを作りたいなあ、、、
あそこの庭木は整理した方がいいな、、、
といったああしたい、こうしたいが、湯水のように湧いてくる。

家人には本当に申し訳ないが、元来行き当たりばったりの性格であるからして、
この家で、この先いつまで暮らすかなど、正確なところは分からない。
ここに骨を埋める覚悟みたいなものも、正直なところ毛頭ない。
それでも、ここしばらくは、
この家をちょこちょこといじりながら、
暮らしていこうかな、などと今更ながら思っている。

2011/06/21

てっぺんかけたか

ひと月ほど前から、よく耳にするようになった鳥の鳴き声がある。
まるでリバーブをかけたようによく響く独特の節回し、
そのせいか、わりと空の高いところで聞こえる気がする。

その声がいつものように聞こえてきたある時、
ふと、なにかが腑に落ちた。
ああ、これが「てっぺんかけたか」か、、、。
頭の中に、昔読んだマンガのひとコマがよみがえった。

「てっぺんかけたか」と鳴く鳥がいる。
その事を僕が知ったのは昔読んだ楠勝平のマンガからだった。
たしか70年代はじめ頃の「COM」に掲載されていた短編作品のひとつだったと思う。
今となっては、そのストーリーもほとんど覚えていないのだが、
空飛ぶ鳥に「てっぺんかけたか」の鳴き声が大きく描かれたそのページだけは
何故か強く印象に残っている。

そこで、記憶を確かめるためにも、昔の「COM」をもう一度読んでみたいと思ったのだが、
いかんせん僕のマンガコレクションは、
引っ越しの際に段ボール詰めされ倉庫の奥に仕舞い込まれたまま、、、
残念ながら断念した。

楠勝平は江戸時代を舞台に、そこに生きる庶民の悲喜こもごもの暮らしぶりを描いた作家だった。
生や死、悲しい事や可笑しいこと、良い事や悪い事、人情や裏切りや失敗、、、
それらに彩られた様々な人生が、その作品には淡々と描かれていた。
洒脱なその作品を読むたび、当時の僕は子供ながらも、ある種の無常観を感じていたように思う。

そしてもうひとつ、強く氏の作品から受けた印象が「粋」であった。

軒先を見上げると、空を高く鳥が鳴く。
見上げる人々は季節の到来を知る。
「てっぺんかけたか」

この描写にも、そんな「江戸の粋」を感じて、きっとそれが強く心に残ったに違いない。
もちろん当時の僕には、そんな「粋」という概念はあまり理解出来てなかっただろうけど、、、。

楠勝平、「COM」や「ガロ」で活躍したこの不世出の作家は、
1974年、30歳という若さで夭逝した。
という事は、当時僕が読んでいた作品群は20代後半に描かれたものになる。
うーむ、よくその若さで、あんな作品が描けたもんだ、、、と唸らずにはいられない。

さて、話を「てっぺんかけたか」に戻すと、、、
調べてみると、声の主は「ホトトギス」。
あの「鳴いて血を吐くホトトギス」「正岡子規の不如帰」「鳴かぬなら殺してしまえ、、、」
のホトトギスであった。

ははあ、なるほど、
この辺りには竹薮が多いし、そこを住処とするウグイスも多い。
ウグイスの巣に托卵するというホトトギスにとっても絶好の棲息地なのだろう。

「ほーほけきょ」と春を告げるウグイスが鳴き、しばらくしてから
「てっぺんかけたか」のホトトギスが初夏を告げる。

「うす墨を 流した空や 時鳥(ホトトギス)」一茶

梅雨があければ、もうすぐ夏だ。

2011/06/20

イラスト作品を追加しました

先日のコミック追加に引き続き、今度はPortofolioページにイラスト作品を追加しました。
ここ最近(と言っても1、2年なんだけど)の作品を追加しています。
ぜひ、ごらんください。
>Yla Portofolio/illustration

2011/06/11

すごすぎるホタルたち

続けてホタルの話題ばかりで恐縮なのだが、
なんとなく予感を感じて昨日また出かけて行った「源氏ぼたるの里」、
このホタルっぷりがあまりにも見事だったので、またアップします。

今回は、先日までの田んぼの中の用水路ではなく、やや広い川沿いがそのスポット。
そのせいか、ホタル達はあまり飛び回らずに、川沿いの木に停まって、ゆっくりと明滅を繰り返している。
その数の多さもすごいけど、それぞれの光りかたがシンクロし、
ゆっくりとうねりながら光っては消える様は、実に幻想的。
水面に映る光もきれい。ファンタスティック。

という訳で、しばしの間、呆然と眺め続けたのであった。

ところで、ホタルの写真って、ムツカシイ。
その光跡がちゃんと写っても、なんかウニョウニョとしたイトミミズの群れみたいな写真になっちゃうし、
とても現場の、あの茫洋とした神秘的な雰囲気が再現出来ない、、、。
(ま、技術不足なんですが、、、)

という訳で、本当は、ものすごおーくキレイなんだ、と思いつつ、下の写真もごらんください。



2011/06/09

ホタルのユウベ

車で20分ほど行ったところに「源氏ぼたるの里」という場所がある。
その名の通り、ゲンジボタルが自生する自然豊かな所。
清らかな水の流れや美しい田園が広がっている。

「源氏ぼたるの里」

こちらに引っ越して来てしばらくしてから、この地のことを知り、是非見に行ってみたいと思っていたのだが、、、
去年の今頃は、家や庭や裏山のリフォームや大掃除に追われて
とてもとてもそれどころではなかった。

そして今年、
待ちに待ったシーズンがやって来た!と喜んだ我々、
先週は実に三回も「源氏ぼたるの里」に出かけていったのだった。

5月30日、月曜日。
雨が上がるのを待って下見がてらに出かけてみたのだが、
台風が過ぎた後で風強く、気温も低くて、ホタルは一匹も現れず。残念!
見物客も我々以外、ほとんどいなかった。

6月3日、金曜日。
この日は、まずまずの人出。
薄暗くなってから着いたのだが、先日下調べをしておいたので、
迷う事なくまっすぐ一番のホタルスポットに向かう。
そして、ついに念願の源氏ボタルの群舞に遭遇。
目の前の幻想的な光景に静かに感激する。

ホタルが光りはじめた

あくる4日、土曜日。
この日は、ここ一週間行われていた「源氏ぼたる鑑賞の夕べ」の最終日、
「ほたる祭り」と銘打たれたイベントが開催されていた。
たぶん一年中で一番、ここ「源氏ぼたるの里」に人が集まる日ではないだろうか。
とは言っても、やはりそこは外房感覚。
そんな無茶に混み合うほどでもなく、なかなかの手作り感覚あふれるピースフルなお祭りであった。
子供からお年寄りまで、浴衣を着た人もちらほらと集まり、ちょっと早い夏祭りといった趣き。

さて、肝心のホタルはと言うと、前日に比べると少なめだったのはやや残念。

特設会場には舞台が設えてあった。見れなかったけど、、、

さて、そんな感じで「源氏ぼたる鑑賞の夕べ」なるイベントは終了したものの、
もうしばらくは、ホタル鑑賞は可能なようだ。
もう少ししたら、小ぶりなサイズの平家ボタルが飛び始めるらしいし、
ぜひもう一度、行ってみようかな、、、と思っている。

2011/06/04

Comicを追加しました

実にひさしぶりに、PortforioのページにComicを追加しました。
それもなんと!新作です。
(とは言っても、去年から2回だけ描いた小作品なんだけど)
最近気になってるモノ、コト、場所などに焦点を当てて、
毎回深く追求してみようと試みる旅行記仕立てのエッセイマンガ、
つー感じです。
ぜひ、ごらんください。
>Yla Portofolio/comic

あと、トップページも更新。
チューリップとKORG名機MS-20のコラボレーションなり。

2011/06/02

2011/3/8ー2011/5/22

2011/3/8
だんだん日射しが春っぽくなってきた。
庭にジャガイモを植える。

2011/3/12
テレビで延々と繰り広げられる近未来パニック映画のような映像。
居ても立ってもいられなくなって、警報が解除されてすぐに近くの海岸へ行く。
港では押し上げられた漁船がゴロリと横たわっている。
ここ九十九里の南の岸にも津波の被害が、、、。

2011/3/17
計画停電の夜。

2011/3/20
停電ばかりで仕事にならないので、、、、
竹を焼く。

2011/3/25
「Pray For Japan」
友人のサイトに頼まれて、震災を受けた人々へのメッセージイラストを描く。
以前描いたポピーの絵を手直しして、メッセージを添えた。

2011/3/28
そんな中でも、春は確実にやってくる。
庭のモクレンが開きはじめた。

2011/4/11
山の湖に桜。

同じく2011/4/11
夕暮れ。愛犬カノンのシルエット。

2011/4/12
翌日は別の場所でお花見。
またしてもカノンがちゃっかり写りこんでる。

2011/4/15
お隣の梨園で、梨の交配を手伝う。
使用するハイテクマシーンは「電子制御花粉交配機ラブタッチ5号」。

2011/4/18
庭のチューリップが満開。
このところ庭を眺めながら電子音楽を聴く事が多くなっているが何故か?
特に北欧のエレクトロニカあたりがお気に入り。

2011/4/27
神楽坂にスペインバル「BAR MAQUO(バルマコ)」がオープン。
ロゴ制作と印刷物、サイト制作などを手伝わせいただいた。

2011/5/18
剪定して落としたモミジの枝を玄関先に飾る。
郵便受けがボロで悲しいが、モミジは青く美しい。

2011/5/22
梅雨に入る前にかねてより計画していた庭の芝生化を行う。
植え付けるのはティフトン系芝の改良種「ティフアート」のポット苗。
うまくいけば三ヶ月くらいで緑の絨毯になるらしい。


そして、梅雨がやって来た、、、。

2011/01/24

祝還暦

先週末の土曜日、友人であり我々夫婦の結婚の保証人でもある
「元次郎長バーのママ」シズコさんの「還暦祝い」の宴が開かれた。

宴はまず、シズコさん宅でのホームパーティから始まり、
次に永福町「鶴吉」に移動して乾杯、
そして最後に渋谷「4」に友人知人が集結しての大パーティ…、という流れ。
「4」では、シズコさんをお祝いしようと集まった
懐かしの次郎長バー・オールドスクールの面々が多数集まり、
多いに盛り上がった盛り上がった。
いやあー、おめでとうございます、ほんとに。

しかし、それにしても、還暦ですよカンレキ…。

還暦祝いという言葉からまず思い浮かぶ絵面はというと、
孫達に囲まれ赤いチャンチャンコを着た好々爺……
押しも押されもせぬ立派なご老人……
という所ではないだろうか、ひと昔前のイメージでは。

ところが、最近ではちっともそんな事はないようだ。
カンレキと言えども、皆まだまだ若いのか、、、
もしくは、自分も年をとって近くなってきたからそう思うのか、、、。

以前、テレビのインタビュー番組の中で鳥越俊太郎氏が
以下のような事を語っていたのが、耳に残っている。

——村の船頭さんって歌がありましたよね。
「村の渡しの船頭さんは今年六十のおじいさん
年をとってもお船をこぐ時は
元気いっぱい櫓がしなる、、、、」
ひと昔前は、60って言えば、こう歌われるほどの老人だった訳です。
しかし、今では、ちっとも、そんな事はありません。

なーるほど、確かにひと昔前の60歳と今の60歳では、
けっこー違うよなあ、、、と、妙に得心したのを覚えている。

閑話休題、
そんな感じで、過去の還暦イメージをぶっ飛ばしてとにかく元気なシズコ姉、
皆に囲まれグチャグチャになりながら真夜中過ぎてもガンガン踊ってらっしゃいました。
これからも、ますます、お元気で。
我々もすぐに行きますからね、そっち側に。
カンレキお祝いイラストです。

2011/01/16

海辺のトトロ

ところで、総持寺に向かう途中、日本海に面した道路脇に
奇妙なものを発見して、思わず車を止めた。

で、撮ったのがこの写真。

どうです?
こりゃ、誰が見てもトトロですね(笑)。
高さ15メートルくらいのこの岩、大きさもちょうど良い感じで、
じっと見ていると、鼻といい口元といい、
実にトトロならではのとぼけた表情が浮かび上がってくる。

地元ではもともと、その独特の形状から「トトロの岩」として親しまれていたらしいが、
「観光の目玉になれば」という事で、役場の人が文字通り「目玉」をつけて、
より「トトロ感」をアップさせたらしい。

なるほど、よく見ると、目玉は荒縄2本をぐるぐる巻きにしたもので、
それも、海辺の漂着物、つまりゴミの再利用だとのこと。
うーーーん、実に安あがりな村おこし、ロハスなトトロ、
割とこういうの好きです。

2011/01/15

雪の総持寺

石川県への帰省(妻方)の際に、
ちょっと楽しみにいているのが、名刹めぐりだ。

開祖の道元と並んで曹洞宗宗祖として崇められる
第四世瑩山禅師ゆかりの寺が、能登にはいくつかある。
金沢の大乗寺、羽咋の永光寺、輪島の総持寺祖院などだ。
縁があってこれまでに、これらの古寺を訪れることができたのだが
いずれも、趣きのあるいい寺ばかりである。

瑩山禅師という人は、何より修行一筋でストイックになりがちな道元の教えを、
より一般に門戸を開き、曹洞宗のすそ野を広げた人とも言えそうで、
言ってみれば曹洞宗エバンジェリストと言ったところか。
いずれにせよ、今日の曹洞宗になくてはならない大きな足跡を残した人物だ。

越前(現在の福井県)に生まれた瑩山は、幼い頃より信心深い少年だったらしく、
8歳の若さ(というか子供じゃん)で、道元が開いた本山永平寺に入山。
よく学び、得度。
師である義介に従って大乗寺に移り、その後大乗寺2世となる。
羽咋に永光寺(ようこうじ)を開山。
そして能登に、後に永平寺と並んで曹洞宗大本山となる総持寺を開山する。
晩年は永光寺にもどり入滅した。

ちなみに総持寺は、明治時代の火災による消失を機に、横浜の鶴見に移転した。
よって、現在の能登総持寺は、鶴見の大本山に対して、総持寺祖院と呼ばれるようになる。


さて、前置きが長くなってしまったが、今回も寺社巡りをする機会を得たので、
それではと、もう一度総持寺を訪れてみることにした。

折から前夜降った少しまとまった雪で、総持寺は真っ白に染まっている。
小降りながらも雪は降り続いていた。

前にこの寺を訪れたのは、8年前の夏のことだ。
汗をふきふき蝉の声を浴びながら見てまわった時とは
当然ながら、全く印象が違って見えるものだ。
しかし、ワビサビ感あふれる禅寺のたたずまいには雪景色がとても似合う気がする。
雪によって余分な色味が削ぎ落とされたモノクロームの世界。
そのシンプルでイノセントな空間に身を置いていると、
だんだんと心がしんとしてくるのが分かる。

「雪景色がいいですね」とお寺の方に声をかけると
「たまに見えられる方には、そうでしょうね」とやんわりと言われ、ちょっとチクリとする。
そうだよなぁー、ここの人たちは、
この身を切るような寒さの中で、毎日、厳しい修行をしてるんだよな、、、、
いやー、頭が下がります。

ところで、残念ながらそれにも増して印象的だったことが、もうひとつ。

建物のそこかしこに、地震の傷跡がいまだ生々しく残っていたことだ。
4年前に襲った能登半島地震では、この総持寺が建つ輪島市門前町あたりが一番の被害を受けたらしい。
見ていて痛々しい傷跡が、その被害の規模を彷彿とさせる。
特に中央の大祖堂(法堂)は、まだ修復中のため立ち入り禁止で、
完全修復までは、あと数年かかるらしいとのこと。

こういう古い建物の修復というのは、
単純に、なんでもかんでも新しく作り直す訳にもいかず、むつかしい作業であろうと想像される。
色々と大変でしょうが、一日も早い復旧を願うばかりである、ほんとうに。
ちなみに、チョー微力ながら、わがイラテックも瓦一枚分寄進させていただいた。
がんばれ、総持寺!と祈るばかりである。

2011/01/13

お正月の飾り付け

こんな感じだった我家のお正月の床の間。
「梅にうぐいす」をバリ額に入れて飾ってみた。
頂き物の蘭の鉢植えに獅子舞、鶴などの小さなお正月オーナメントをアレンジ。

そのとなり、明かりとりの松型飾り窓と、床脇棚に置いた鏡餅。
うーむ、ニッッポンのおしょーがつうー!

しかし旅行中だったため、ほとんど見られる事なく
この飾り付けは撤収されたのであった。
ちょっと残念だったので、ここにアップしてみた。

2011/01/12

おくれましたが謹賀新年

年末年始と少し長めの正月休みをとり、ちょっと旅に出ていた。
(と言っても、兵庫、石川への帰省旅行なんですけどね、、、)

そんなこんなで、はっと気がつけばハヤもう12日!
ありゃりゃ、すっかり遅くなってしまったけれど、気を取り直して、、、、

「明けまして、おめでとうございます。」

という訳で、今年の年賀状がこちら。

去年は干支の「虎」を描いたので、今年は「兎?」という意見もあったのだけど、
ところがどっこい今回の絵柄は、見ての通り「梅にうぐいす」。
ま、とりあえず正月らしく、お目出度い感じでしょ。

ところで、年末、出かける時には気がつかなかったんだけど、
家に戻ってきて庭を見たら、梅がちらほらとほころび始めていた。
数えてみると白梅が4本に、黄色い花をつけたのが一本。
いずれの枝にも、びっしりと可愛らしい蕾が並び、
先っぽのそそっかしいのが二つ三つ咲きはじめている。
ここに引っ越してきたのが去年の4月だから、はじめて見る我が家の梅である。

こういうのを見ると、まだまだこれからが寒さの本番だけれども、
やがてその先には、春がゆっくりと訪れて来ようとしているのが、肌で感じられる気がする。
なんか、こういうのってイイですね。

という訳で改めまして、、、
「本年もよろしくお願いいたします。」


オマケで、はがきサイズじゃ見えない部分アップを付けておきます。
(トップページも更新しましたよ)