2012/09/21

久しぶりに展覧会を開きます


「Technoicon2012」

この秋、ものすごく久しぶりに作品展を開催することになりました。
近年では2005年と2007年に、ギャラリーバーなどでの作品展示は行ってまいりましたが、
ギャラリーでの作品展という事になりますと、
1982年12月に原宿アットギャラリーで行った「地図と記号と森羅万象展」以来、
実に30年ぶりの個展開催ということになります。

私、奥平は30数年前にマンガ家、イラストレーターとしてデビュー、
その後、雑誌、レコードジャケットなどのアートディレクションに活動の場を拡げ、
1990年以後は主に、ゲームやCG、マルチメディア、WEBといった
いわゆるデジタルコンテンツのディレクションに携わって参りました。

しかし近年は、本来の仕事である「絵の制作」に戻ろうと考え、
2年ほど前に慣れ親しんだ東京から、外房の海の近くに居を移し、
絵画作品の制作にいそしむ日々を送っております。
今回の個展では、そんな中で生み出された作品の数々をメインに
ここ数年の作品を皆様にご覧いただければと考えております。

またこれも、ものすごく久しぶり、約20年ぶりになりますが、
現在、新作マンガも描きおろし執筆中。
同展においては、この新作をはじめ最近のマンガ作品の御紹介も行う予定です。


「Technoicon/テクノイコン」

この言葉は私が90年代初頭、「これからはコンピュータだよね」と
例によって軽い調子で、アナログからデジタルへとその表現方法を変化させた折、
表現していくべきテーマとして、何かスローガンとなる言葉が欲しいな…と、
そこで無理矢理ひねり出した造語です。
とは言っても、大好きで自身の大きなバックボーンの一つである「テクノ」と、
これまたずっと惹かれ続ける「イコン(その当時は、西洋の宗教画)」を
単にくっつけただけなのですが…。

それ以後、これをテーマに数々のデジタル作品
(イラスト、マンガ、アートディレクション)を制作、発表して行きます。
また、「テクノイコン・ラボラトリー(TIL)」なるバンドも結成し、
アンビエント音楽の制作、演奏なども行いました。

2005年と2007年に行った、ギャラリーバーでの作品展のタイトルも
「Technoicon2005」「Technoicon2007」と、
そのままと言うか、実にヒネリのないネーミングでした。

さて、今回ご覧いれる事になるここ数年の作品。
これらは、以前の作品と比べると、かなり趣向が違って来ているようです。
分かりやすく言うと、それは「和のテイスト」でしょうか。
これに関して、何人かの人から質問を受けました。
「どうして、日本画風になったんですか?」
「なにが、きっかけで変わったんですか?」

この質問に対して私も、最初のうちこそそれらしく、
何かもっともらしい答えを返そうと努力していましたが、
そのうち、ハタと気がつきました。
「あ、ぜんぜん、変わってないや」

つまり、わたしが惹かれ続ける「イコン」は
西洋絵画方面から日本画方面へと徐々に変化していったかもしれませんが、
私が描き出したい「テクノ」と「イコン」の
絶妙なブレンド、蜜月と対立、相反と合体…、
そのようなテーマは、本質的には何一つ変わっていなかったのです。

という訳で、今作品展のタイトル、
これも、最初のうちこそ、あーだこーだと色々と悩みましたが、
結局「Technoicon2012」に落ち着いたようです。

相変わらず、ヒネリがなくて申し訳ないばかりです。

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奥平イラ作品展 「Technoicon2012」

2012年 10/16(火)~10/21(日)
12:00 - 20:00(最終日は18:00Close)
オープニングパーティ 10/16 18:00 -

Star Poets Gallery
〒154-0004 東京都世田谷区太子堂1-1-13 佐々木ビル2F-D
03-3422-3049


2012/07/01

幸福な家出

白猫エルモは度々脱走を企てる。

勿論そんなに外に出たいのなら好きにさせてやっても構わないのだけれど、
頭の先からシッポまで真っ白な猫だし、
家のまわりは結構な自然環境であるからして、
半日も外に出ていると、みるみる薄汚れた灰色猫になってしまうのだった。

そのままベッドにもぐり込まれても困るので、
そんな日は、家に帰ったとたんにお風呂場へ直行となる。

最近では、家へもどる=身体を洗われる、という図式を学習したせいか、
一度脱出するとなかなか戻って来ようとせず、
その捕獲に手間取る事もしばしばだ。

さて昨日は、梅雨の中休み、
久しぶりにカラッと晴れた良い天気。
で、窓を開けて空気を入れ替えたり、布団を干したりしていると、
件の白猫、案の定その隙をみて脱出に成功した。

家人と二人、小さなため息をつきながら
「ああ、また出ちゃったよ」とつぶやく。

、、、が、陽の光を浴びて、うれしそうに駆け回る姿が
なんとも微笑ましく、つい見とれてしまうのだった。
「やれやれ、当分、帰ってこないね」

エルモは颯爽と竹林を駆け下りてゆく。



2012/06/29

Top Page Image Update

久しぶりにトップページのイメージを更新しました。
今回の絵は百合の花。



我家のインヤン

カリカリと仕事していると、机の向こう側、
モニタの後ろから、クーカ、クーカと寝息が聞こえる。
のぞいてみると、、、、
そこに「我家のインヤン」を発見。

2012/06/28

朝焼け夕焼け

梅雨の狭間の夕焼けと朝焼け。
どちらもきれいです。

2012/05/11

嵐のあと

激しく降り続いた雨のあと、向かいの巨木が神々しく輝いているので

急いで表に出てみると、今まさに夕陽が沈もうとしている。
湿気を含んで霞む空気と、水田に映りこむ黄金色の空。
まるでバリの風景画みたい。

ふと振り返ると、でっかい虹。
まっすぐに地から天へと立っている。
ああ、驚いた。

それにしても、一日かけた芝生の養生。
せっかく撒いた目土が、すっかり流されちまったい ・・・。

2012/02/17

「銀座」

ちょっと前の話になってしまうけど、昨年11月、
長友啓典さんが発行していらっしゃる読むデザイン誌「クリネタ」から、
アンケートに答えるという機会をいただいた。
このアンケートは、毎回出されるひとつのお題に、
各界のソーソーたる人達が答えるという、この雑誌の名物コーナーのひとつで、
豪華なメンツの中に名前を加えさせていただいて、実に光栄なことである。

で、アンケートのお題は「銀座」。

銀座と言って思い出すのは、、、と、
たらたら文章を練ってはみたのだが、、、

ところが、アンケート回答の規定は200文字以内。
ぜーんぜん入りきらなくて、大幅に内容をカットして無理矢理制限字数に押しこみ、先方へと提出した。

さて、その大元の原稿を、このまま闇にホオムルのもナンなので、ここに載録してみることにした。
私にとって「銀座」とは、、、、、

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「銀座で思い出したハズかしいラップの話」

若い頃ってのは、ハズカシイことの塊だったりする訳だけど、
銀座と聞いて思い出したそんなハズカシイ話をひとつ。

30年ほど前、
渋谷や新宿あたりの山手線のひだりっ側ばかりで遊んでいた僕にとって、
銀座という街は、ほとんど縁のない所であった。
どちらかと言うと、なんだかカッコ付けた退屈な大人の街、
というのが、僕が持っていた銀座のイメージだった訳だが、
裏を返して言うと、ビンボーでパンクな僕のような若者が
そうやすやすと馴染みになれそうな所ではなかったのだ。

さて、そんな僕が銀座にちょくちょく行くようになったのは、
当時、並木通り6丁目にレコーディングスタジオがあった為か、、、。

漫画家、イラストレータとして仕事を始めて数年、
その頃の僕には音楽制作の仕事というのも、幸運な事にちらほらとあって、
その折によく使わせてもらっていたのが、そのレコーディングスタジオ
「スモーキースタジオ」だったのだ。
(このスタジオはCharのホームグラウンドとして作られた伝説のスタジオ、
残念ながら現在ではもうないらしい)

ヒップホップ黎明期の立役者ビル・ラズウェルのプロデュースで、
日本語ラップ「TYOロック」をレコーディングをしたのも、そのスタジオだった。
なぜに、ニューヨークの大物ミュージシャンと、
名もない日本のイラストレータが一緒に音楽制作をしたのかは、
今となってはあまりにも謎が多すぎてよくわからないのだけど、、、、、
とにかく、舞い込んだビッグチャンスに僕としては無い知恵を絞りまくって楽曲を作り上げた。

タイトルは「TYOロック」
これから日本を訪れようとする外国人に向けて、
トンチンカンな東京案内を繰り広げるというラップミュージックだ。

知恵を絞った割に出て来たのがこの程度てのが、もうすでにかなり恥ずかしいのだけど、
それでも、こういう間違った偏見日本紹介ラップが
ニューヨークのデスコとかで流れたりするとそりゃ面白かろうという、ひとつの目論みではあった。
(実際、アメリカ発売される予定だった。残念ながら実現しなかったけど)

そして、その歌詞には、前述のビンボーでパンクな若者だった僕が
違和感を感じながら通った銀座という街のイメージも、多分に織り込まれていたように思う。

「まずは銀座は日本のパリだよ、並ぶガス灯石畳。
行き交う人たちゃシックでオシャレよ
ちょんまげヘッドにカンサイのスーツ。」
と、始まるこの曲、、、。

うーん、やっぱり、かなりハズカシイですね。
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以上が原文。ぜんぜん長いじゃん。
これをチギッては投げチギッては投げて無理矢理押し込んだ200文字拙文、
これが掲載された「クリネタ」2011年冬号(16号)は現在発売中です。
http://www.crineta.jp/

で、そうこうしてる間に次号のアンケートもやって来た。
次号の特集は「経済」とのことで、アンケートは「お金の愚痴を聞かせてください」。
むむむ、、、これも200文字じゃ、
とーてー、収まりそうにないねえー。

2012/01/22

なんてん おもと ろうばい

南天の赤い実ももうだいぶ
万年青の赤い実も落ちた
鳥が食べた
黄色は蝋梅
名の通り蝋細工でこさえたみたい
いい匂い
庭で一番乗り花を咲かせている
そしていい匂い

2012/01/02

新春のご挨拶

2012年、明けましておめでとうございます。
昨年はいろいろありました。
本年が皆様にとって(もちろん我々にとっても)良い年でありますように。

で、今年の年賀状。
図柄は「青鷺男紅葉」。

本年も何卒よろしくお願いします。

2011/12/02

12月の思い違い

トップページの画像を更新。
「かがなべて、よにはここのよ、ひにはとをかを」

こうして日々を数えてみると、夜では九夜、日では十日にもなる、、、
みたいな意味か。

語呂がよかったからか、なんとはなくこの句を長いことおぼえていて、
たまに心の中でつぶやいてみたりしていた。

若い頃読んだ詩集で目にしたことがあるような気がしていたので、
てっきり金井美恵子の言葉だと思い込んでいた。
(あやふやな記憶)

恋する乙女が窓辺に佇み、
「ああ、あの人に会えない日々がこうして過ぎてゆく。
もう、夜には九夜、日には十日も経ってしまった、、、。」
みたいなイメージをなんとはなく、頭の中に描きながら、、、。
(いーかげんなイメージ)

でも、全然違ってた。

正しくは日本書紀、ヤマトタケルの歌にかえした歌であるという。

日本武尊(やまとたけるのみこと) が問う
「新治(にひばり)筑波(つくば)を過ぎて 幾夜(いくよ)か寝つる」
御火焼翁(みひたきのおきな)、それに返して
「かがなべて 夜には九夜 日には十日を」

ちなみに、これが連歌の起源とな。

天皇の命令でエゾ制圧に行って来たタケル皇子、
大暴れして帰る道すがら、
「ああ疲れた、やっと新治と筑波(茨城)過ぎたけど、
もお、どんだけたったんだ?」
たき火係のジジイすかさず
「そりゃ親方、九晩十日でさあ」
みたいな感じか。

全然、恋する乙女じゃなかったね。

という事で12月。
ちなみに、上記の歌は、12月とも
てきとうに描いた鳥の絵とも、なんの関係もない。