2015/04/30

BAR MAQUÓ 本年のグッズ

一昨日お伝えしたように、4月29日に開店4周年を迎えた神楽坂のスペインバル「 BAR MAQUÓ(バルマコ)」。
うちが毎年作らせていただいてる開店記念のプレミアムグッズ。
さて、今年のグッズは?
じゃーん、今年はステッカーでしたペタ。
3枚のステッカーが1シートになってますペタ。

ちなみに、これ、コンビニで配られてた妖怪ウォッチのステッカーシートを見て
「こりゃいいや」と思いついたネタでペタ。

Gracias a todos!(皆さん、ありがとう!)
 4゜aniversario del BAR MAQUÓ (バルマコ4周年)

4゜Aniversario

Cumplimos 4 Años(4周年記念) ¡Mil Gracias! 
ちなみにコレ、「Mil Gracias」は「千回のありがとう」
つまり最上級の感謝、という意味とのこと。
シャレた言い回しですね。

2015/04/28

BAR MAQUÓ 4周年

神楽坂のスペインバル「BAR MAQUÓ(バルマコ)」が明日4月29日で、開店4周年を迎える。
イラテックでは、その開店当初からロゴデザイン、ショップカード、ショップサイン、Web制作等、
いわゆるショップ・ブランディングを担当させてもらってます。

祝4周年!




で、BAR MAQUÓオーナーシェフ、今村真氏の依頼を受け、
毎年、開店の記念品を制作している。
出来上がった記念品は常連さんにお配りしたりして、喜んでもらってるようです。

こちらは、歴代の記念品。
2年目の「缶バッジ」、3年目の「手ぬぐい」。

毎年、今年は何を作ろうかと考えるのは、なかなか楽しい作業です。



さて、今年はなんでしょうか?

2015/04/27

黄色い花

この家に移り住んでから早いもので5度目の春。

東京の暮らしでは考えられなかったが
土地がまだふんだんにあるこの辺りに相応しく、
この古家にも先の住人が残した100坪ほどの庭がついていて
そのおかげで庭のある生活を堪能させてもらっている。

さて、先の住人は黄色い花が好きだったのか… 、
この季節には、
黄色い花たちがリレーのように咲き続ける。

まず、
まだまだ寒さが残る庭に一番乗りで咲き始めるのが蝋梅。
しばらく間があって、桜の季節になってくるとレンギョウが咲き始める。
時を同じくして黄梅も咲く。
そして、満を持して山吹が咲く。

一口に黄色と言っても、
それぞれに違う、それぞれの黄色だ。

蝋梅の黄色は、ちょっとくすんだ黄色。
花びらは微妙な不透明さを持っていて、
それが蝋細工の花に見えるのがその名の由来。
レンギョウは明るい黄色。
黄梅も同じく明るい黄色だが、
細い花がびっしりと咲くレンギョウと違い、やさしく、絵に描いたような花びらの形。
よって、その黄色は、なんとはなしに柔らかい気がする。

山吹の黄色は、ヤマブキ色というだけの事あって濃い黄色。
力強い黃色に説得力がある。
そして、なにより葉の明るい緑色とのコントラストが、とてもさわやかで気持ちいい。

さて、そんな山吹の盛りもそろそろ過ぎたようだ。
これで、うちの庭の黄色い花リレーも、とりあえず一段落。


リレーのアンカーは、秋の金木犀までおあずけ。


2015/03/23

Deaf Schoolと葡萄畑の話


長生きはしてみるもんだ、とつくづく思う。
びっくりしちゃうよね、こんな事が起きるなんて…。

もう一週間以上も前の話になるけど14日の土曜日、
旧友あおちゃんから去年、その話を聞いて以来、
ずーっと心待ちにしていた「Deaf School」のライブに出かけてきた。
3年前にも来日公演をはたしていたらしいが、その時は残念ながら情報を掴めず見逃してしまっていた。
しかし、今回は見逃さないよ。
それになにより、今回のライブのオープニングアクトを務めるのは他でもない、
あおちゃん率いるスペシャル再編成の「葡萄畑」なのだった。
これは何を置いても、見にいかざるを得まい。

スペシャル編成の「葡萄畑」は、あおちゃんの現在のバンド「BANDA PLANETARIO」との混合メンバー。

Deaf Schoolと葡萄畑の話を少し…。

今から40年近く前の話、
まだまだマンガやイラストの仕事を始めていなかった二十歳すぎの僕は、
その頃、新宿の輸入レコード屋さんでアルバイトをしていた。
HMVやタワーレコードといった大型店が出現する以前、
輸入レコードってのはまだまだマニアックなもので、
当時の輸入レコード屋さんは、ちょっと独特の文化圏を形成して、
音楽に敏感な最先端人間の情報交換場所であったり、
ニッチな音楽オタクの避難場所であったりした。
つまり、音楽好きの僕にとっては、
これはもう実に夢の様な職場で(給料が安いのが玉にキズだけど)、
そして、そこで出会った人やモノや出来事は
その後の人生の大いなる糧となってくれたのだった。

そのお店にお客さんとして来ていたあおちゃん、
バンド「葡萄畑」のボーカル青木和義氏と知り合えたのも
その大いなる糧の最たるものだと思う。

僕としては、高校生時代に葡萄畑のライブを見たこともあるし
(その時は小阪忠のバッキングバンドだった)
今野雄二氏がMCを務めていたテレビ音楽番組「NOK」に葡萄が出演していた事もあって
あおちゃんはまさに憧れの存在だった。

セイラーや10cc、スパークスやロキシーといった
一癖も二癖もあるポップミュージックが好き、という共通の趣味のお陰で、
あおちゃんとは親しくなっていったのだと思うのだが、
そのきっかけは何と言っても、
「Deaf School」だったと記憶している。

「Deaf School」は1976年に登場したリバプール出身のバンド。
アート・スクール出身、
シニカルでひねくれたポップ感覚、
男女混合の大所帯編成が繰り広げる多彩な楽曲、
映画のワンシーンを思わせるドラマ仕立ての展開、
そんな……、ブリティッシュポップ…。
前述の趣向を持つ人間として、このバンドが好きにならない訳がない。
彼らのファースト・アルバム「Second Honeymoon」は、
あっという間に当時の僕のお気に入りの一枚になっていた。


しかーし、
上には上がいるもので、
レコード屋さんのカウンター越しにあおちゃんこと青木さん曰く
「いいよね、デフ・スクール
 だから早速彼らに手紙を書いたんだよ。
 すると向こうから返事が来てさ、
 せっかくだから、日本でファンクラブを作ろうという事になって、
 君も入る?
 デフ・スクール・ファンクラブ」

なんせ古い話なもんで、記憶違いによる相当の脚色はあるものの
たぶんこんなやりとりがなされたのではないかと思う。

あおちゃんの横には、当時美術大学生だったS君(後のスージー甘金氏)がいて
あおちゃんに頼まれて作ったデフ・スクール・ファンクラブ・バッジを
カウンター越しに僕にも差し出してくれたのだった。

のではないかと思う、、、。

これがその時のバッジ(画像はあおちゃん提供)

さて、そんなこんながあり結成されたデフ・スクール・ファンクラブも、
たいした活動をするでもなく、
会員バッジを作っただけで、時の狭間に忘れられていった。

当のデフ・スクールも、
その後起こったパンク、ニューウェイブの荒波にもまれながら
「Don't Stop the World」「English Boys / Working Girls」と全部で三枚のアルバムを出したものの、
それらが大してヒットするでもなく、1978年にはなんとなく解散してしまったようだった。

しかし、そのデフ・スクール・ファンクラブをきっかけに始まった
あおちゃんとのお付き合いはそれからも続き、
氏にはその後も、ほんと、いろいろな事を教わる事になる。
フェリー二の映画、ニーノ・ロータの音楽の素晴らしさ…、
一緒に行った京橋フィルムセンターで見たアラン・レネの「夜と霧」「去年マリエンバートで」…、
ニュージーランドのバンド、スプリット・エンズの楽しさ…、
数え上げればきりがない。

それだけではなく、
あおちゃんが葡萄畑解散後に結成したテクノバンドにメンバーとして加えていただき、
「渋谷ジァン・ジァン」でマンスリーライブを行ったりした。
そのバンド解散後、ポリドールのディレクターとなったあおちゃんのお仕事
「今野雄二さんプロデュース/ANYWAYS」のジャケットワークをやらしてもらったり…もした。
その後も、、、、エトセトラ、エトセトラ。
ほんと、いろいろとお世話になったなぁー…と、あらためて感じる。


さて時はめぐり、話はもどる。

件のデフ・スクールさん、
ちっとも知らなかったが、彼らは10年ほど前に再結成を果たし
現在も継続的にライブ活動を行っている様子。
で、その二度目の来日公演が先日のライブだった訳である。

そして、そのフロントアクトに、あろうことか葡萄畑!

僕としては、この奇妙な偶然というか
時を経た必然というか、、、
そんなものに心踊らせられないわけがない。

決して広くない高円寺のライブハウス、
そこで繰り広げられる「葡萄畑」と「Deaf School」の共演に
その素晴らしい演奏に、
僕は只々胸を熱くしてステージを見つめるのだった。
長生きはしてみるもんだね。
びっくりしちゃうよね、こんな事が起きるなんて、ったく…。

ライブ後、Bette Bright、Enrico Cadillacと一緒に写真撮ってもらったりして…


ちなみに、これは1977年の葡萄畑、
前述のテレビ番組「NOK」でのライブ。

こっちは同じく1977年のデフ・スクール「What a way to end it all」
やっぱり、かなり通じるものがありますね。


葡萄畑に関する記事はこちらにもあります。

葡萄畑の夜(2009/10/28)

葡萄畑 プレゼンツ BANDA PLANETARIO(2009/12/26)

2015/03/13

初ウグイス


本日近隣こぞっての農作業。
夕刻前に終わり、酒盛りの後、家に帰って風呂に入っていると、、、、。

今年初めてのウグイスの声を聞く。

「ほーほかきょ?」
「ほーききけ?」
「ほー……、えーとえーと」

毎年、この時期の鶯の最初の鳴き声は、自信なさげで、すごく心もとないもので、
耳にする度、つい笑ってしまう。
これ、ほんと。

「ほーけけけ? だっけ?」

みなさーん、もうすぐ春ですよおー!
と、彼は言っている、、、、
と、僕は思う。

2015/02/13

「赤い髪の少女」(1983)


80年代作品発掘中に見つけた作品。
Acrylic on Canvas(1983…たぶん)。

マンガ単行本「地図と記号」制作時に描きおこしていた一連の作品の一枚。

2015/02/09

虎と少女(1983)

本日よりちょっと、80年台作品発掘作業。
というのも、ある人よりある事を頼まれての
実に楽しいお仕事なんだけど、詳しい事はいずれご報告するとして…。

70年代後半から80年代にかけては、
パンクでニューウェーブな絵をいっぱい描いたが、
80年台の初頭、しばらく滞在したニューヨーク体験以後は、
なぜかエスニックでオリエンタルな絵を描く事が多くなった。

キース・ヘリングやケニー・シャーフを目の当たりにした後での、
自分が描くべきなのはコレだという、若気のほとばしりであった事には間違いない。

で、とにかく
今回発掘するのは、このあたりの作品。
とりあえず探し始めたらこんなん出てきました…
この絵もその当時の、レコードジャケット用に描いた作品「虎と少女」。

どんな絵が出てきて、
今回どう活躍するかは、追ってご報告します。

乞うご期待。

2015/01/12

Another Green World


本年最初の新作を一点。
タイトルは「Another Green World Ⅱ」とした。

昨年末「赤い芍薬」を描いているうちに現れた
植物からほとばしる精気のようなイメージ…
これをもっと描きたくなって、
以前描いていた「Another Green World」という作品を再構成、
描き直してみた。

ちなみにタイトル「Another Green World」は
ご存知アンビエントの巨匠ブライアン・イーノのアルバムタイトルから拝借した。


1975年(今から40年前!?)に発表されたこのアルバムは、
それまで2枚のソロアルバムとは異なり、
イーノ独特の屈折したものではあるけれど所謂ポップ・ミュージックから、
今日のイーノの代名詞とも言えるアンビエント・ミュージック、
その片鱗が初めてその姿をみせたエポックな作品として知られている。

同年、自身のレーベル、オブスキュアから発表された
初のアンビエントアルバム「Discreet Music」で
それは決定的なものになるんだけど、
言ってみれば、後のイーノ作品に繋がる分水流となったような作品だ。

その後のアンビエント作品はもちろんだけど、
ポップ、ロックとアンビエント、実験音楽を
行きつ戻りつつしているこのアルバムが僕は割りと好きで、
時折、タイトル曲「Another Green World」や
「Sombre Reptiles」が無性に聴きたくなる。

それもあって、怪しい植物世界のイメージが頭の中に生まれた時
この「Another Green World」というタイトルがすんなりと浮かび、
それを拝借することにしたのだった。


こんな感じの連作を描いてみたいな…、
と、思う。
出来上がった作品を並べると
架空の植物園みたいになれば面白いのだけど。

2015/01/08

「冬来たりなば春遠からじ」


本日じつに天晴な晴天。
風はぴーぷー冷たいけれど、しばし庭に出てみる。

見ると我が家の庭では毎年一番乗りの蝋梅が、はや咲き始めている。

となりの椿やレンギョウも、小さい蕾がギッシリで
フライング気味にもう咲いてるお調子者もいる。
そのとなりの木蓮は、猫柳のような和毛(にこげ)をつけた花蕾の枝を
真っ青な空に向かって力強く広げている。

あらためて見回すと、庭中の枝木のそこかしこに、
小さな蕾たちがいっぱいだ。

ふと頭の中にあるフレーズが舞い降りる。
まさに「冬来たりなば春遠からじ」って、こういう事なんだろうなあ。

昔の人は良いこと言うなあ……
やはり四季の折々を感じる日本人ならではの感性か……
きっと、
昔のあるとき、茶人みたいな爺ちゃんが
今日のうちの庭みたいな風景を見ながら目を細め
ぼそりと呟いた一言なのではなかろうか……


とここまで思って、ちと気になって調べてみると
これがおおいなる勘違いだった。

「冬来たりなば春遠からじ」とは
イギリスの詩人、シェリーの「西風に寄せる歌」の一節
「If winter comes, can spring be far behind?」がその由来で、
厳しい寒さの冬を過ぎれば、その後には暖かい春がやってくるぞ、
辛いことばっかりじゃない!明けない夜はない!
もうちょっとだ、がんばれ! みたいな、ことわざ的言い回しであった。

へえー、そうなんですか。
ちっとも知らなかった。勉強になりました。
でも、きっと…
毎年、この風景を見るたびに、
ついついこのフレーズを呟いちゃうんだろうな…、きっと。

2015/01/05

門松を作る

うつらうつらしている間に、はや三が日も過ぎてしまった。
世間的には休みも終わり、本日より平常営業という所も多いとは思うのだけど
なんとか駆け込みでお正月な話題をひとつ。

年末に度々ブログやFacebookで「芍薬の絵を描く」様子をアップさせてもらったが、
実はそれと並行して、もうひとつ進行していた一大プロジェクトがある。
それこそ、なんと「自作門松プロジェクト」であった。
つーとかなり大げさなんだけど、要はあれです、
「自分ちに飾る門松は自分で作ろう」という話です。

「門松(かどまつ)とは、正月に家の門の前などに立てられる一対になった松や竹の正月飾りのこと。松飾りとも言う。古くは、木のこずえに神が宿ると考えられていたことから、門松は年神を家に迎え入れるための依り代という意味合いがある。」(ウィキペディアより)

日本人なら誰もが知っているだろうあの門松、
実はあれは誰が作っているのか?というのを僕はこれまで、あまり考えた事もなかった。
また、考えたとしても「植木屋さんか、それ専門の業者が作るんじゃないの…?」
くらいに思っていた筈だ。

その思い込みがガラガラガッシャンと覆されたのは
この地に引っ越してきて(いわゆる田舎暮らしを始めてから)はじめての年の瀬、
年末のご挨拶におとなりの農園を訪ねてみると、
となりのお父さん、竹を組み合わせたりして何かを作っていらっしゃる。
なんですか?これは?
こりゃ、門松だよ。正月だから門松を作っとるんじゃ。
え?門松って自分で作るんですか?
当たり前じゃ。自分ちに飾る門松は自分で作るんじゃ。

…みたいなやり取りが展開されて、ここで前述のガラガラガッシャンが僕の中で起こった訳だが、
言われてみればその通り、いわゆる「田舎暮らし」というのは、
実にこの「自分で使うものはなるべく自分で調達しよう」精神にあふれたライフスタイルなのであった。

さて、この話に妙に納得した私、
いつかは自分も門松を自作してみようと思い込んだ次第。

で、その機会が初めて訪れたのが3年前の年の瀬、
この家で初めての年越しを迎えることになり、
待ちに待った「初自作門松」に挑むこととなった。

早速ネットで検索してみると、先達たちが様々な「門松の作り方」を披露してくれている。
それらを参考に作ってみたのだが…、
いかんせんあまり制作時間が取れず、かなり「やっつけ」な門松になってしまった。
植木鉢を使用するアイデアと竹を組み合わせたまでは良かったが、
後は松の枝と千両もどきをめったやたらと差し込んだだけ…、
しかも、本来対であるべき門松が、シングルになってしまった。
だめじゃん、これでは、
年神様が、どこを通っていいか分からないじゃん、
という情けない結果に終わってしまったのだが、、、、
ま、これはこれで、とりあえず習作という事で、と
妙な満足感を味わったのだった。
3年前のやっつけな門松。竹も松も千両(もどき)も全部自宅に生えてるものを使った。


さてそれから季節はめぐって、二年後のこの年の瀬、
ついにリベンジの好機が訪れた。
ふたたび「自作門松プロジェクト」の始動である。

と、「今回はやりますよ!」と意気込んではみたものの、
今回もまた、年末進行の押せ押せ状態、実際の制作は大晦日当日という
かなりバチアタリな感じになってしまった。

「門松の設置は「松の内」に入る12月13日以降ならばいつでも良い。
 ただし、クリスマスは避けて設置される傾向にあり、他に12月29日に飾るのは「二重苦」、さらに9の末日でもあるので「苦待つ」に通じるとされ、「苦松」といって忌む。
 また12月31日に飾るのは「一夜飾り」「一日飾り」といって神をおろそかにするということから、それぞれ避けることとされている。」
(再びウィキペディアより)

ね。

ま、でも作らないより、作るに越したこたあない、
と、焦って制作にかかったのであった。

以下、制作の様子。
まずは何と言っても竹である。竹なら裏の山に唸るほど生えている。
逆に言えば、裏に竹林があるからこそ、門松を自作しようと考えたと言ってもいい。
で、適当なのをみつくろって…、と。

今回もベースには植木鉢を使うことにする。
本式には小さめのドラム缶や、つけもの桶など筒状のものを使って
周りにぐるりとコモを巻き付ける、というのがそれらしいんだろうけど…、
でも、あんまり本格的になりすぎてもねえー、、、て感じで。

 あらかじめ用意したその他の素材。
この時期、このあたりの直売所では正月飾り用に葉牡丹が必ず売っているので、
紅白一株づつを購入。
直径40センチの大きさで一個100円は安い!
あとは、庭に生えている南天なんかも引っこ抜いて準備。

竹を斜めに切る。 
切り口を綺麗に見せるために、サンダーをかけたりして…

高さを互い違いにした3本の竹を束ねる。
黒の麻紐とかで結わえると、雰囲気が出ます。
なんか、それっぽくなってきたよ。
で、これをもう一組用意。

鉢の中に入れてみて高さを決めたら…、
鉢に土を投入。
一昨年はこれをやらなかったので、雰囲気が出なかったのかも。

で、後は寄せ植えの要領で、松や千両の飾りをどんどん植えていきます。
うーん、いい感じ。
竹の背景には、最初オーソドックスに笹を植えてみたんだけど…、
これが、イマイチ面白くない。
で、そこで、ひらめいた!
ハランとかの方が面白いんじゃない?これなら庭にいっぱい生えてるし。
見た目もゴージャスなフラワーアレンジメントみたいな感じで…と、
プスプス挿していく。

もう、ここまでくれば仕上がりは近し。

という訳で出来上がりました。
こちらが向かって右の門松。

こちらが左。

 そして、無事に大晦日の夜を迎えました。

こうして、今回もいろいろ反省点は残るものの、
とりあえず一組の自作門松が出来上がり、
その間を通ってお越しいただいた年神様とともに、
我が家のお正月は滞り無く、そしてうつらうつらと過ぎていったのだった。

いやあー、しかし面白いもんですね。
まさか自分の人生の中で、門松を自分で作るということが起こるなんて、
考えたこともなかった…。
「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」
あらためて本年もよろしくお願いいたします。