2009/09/25

秋の気配

ここ数年、すっかり早起き生活になってしまった。

とくに夏は日の出が早いので、それに合わせてだいたい4時くらいに起きることになる。

漆黒の夜が終わり、だんだん明るくなる夜明け前のひと時、
この「しん」とした時間がなんとも言えず、好きなのだ。
それに、この時間に起きて、外の気配に耳をそばだてていると、
日々、季節がゆっくりと移り変わっていくのが、手に取るように感じられる。
以前はもっぱら夜型の生活で、この時間を一日の最後の時間としてすごしてきた訳なんだけど、
そのときはそんな事、ちっとも感じなかった。
なんだか、ちょっと不思議ですね。

で、秋分の日もすぎて、だんだん夜明けが遅くなってきた。
日中はまだ暑い日もあるけど、朝はすっかり秋の気配です。

早起きしてこんな絵を描いたりしています

2009/09/19

イラテックタマテックイラテック

むかしむかし、、、
僕がまだイラストとかマンガとか仕事を本格的に始めるちょっと前、
つまり「奥平イラ(ペンネーム)」になる前のこと、
当時仲良く遊んでいた友人と一緒に、多摩テックにゴーカートに乗りにいったことがある。
友人とは、こちらもイラストレータ、マンガ家になる前の
「スージー甘金(これも、もちろんペンネーム)」氏であった。

三鷹育ちのスージー氏によると、東京多摩地区の子供たちにとって
多摩テックはパラダイスであり聖地であり、
なかでも、その目玉遊具ゴーカートは、まさしく夢の乗り物であったとのこと、、、。
なかなかに大げさな表現ではあったが、
そんな夢のような楽しさなら、それは是非体験してみなければ(笑)、、、と
我々は多摩テックに出かけていったのであった。

多摩テックというのは、東京都日野市にある遊園地、
自動車メーカーのホンダがモータースポーツの遊園地として1961年に開業した。
ホンダのエンジンを搭載したゴーカートやバイクのアトラクションで人気を博し、
それこそ昭和の子供たち(特に男の子)の心を、グワシとワシ掴みにしていたらしい。

さて、こん時の多摩テックの思い出なのだが、これがいまひとつハッキリと思い出せない。
スージー氏には悪いが、きっと僕にとっては、
そんなに夢のような体験でもなかったのではないか、と思われる。
だが、この「多摩テック」という遊園地のネーミングは、当時の僕の心に強烈に残ったようで
「タマテックタマテックタマテック、、、かっこいいよなタマテック、
タマでテックだよタマテック」
当時、テクノポップにいかれていた僕は、
ゴーカートに揺られながら呪文のようにそう呟いていたのだった。

その後、この仕事を始めた僕のところに、
月刊「宝島」で音楽コラムを連載してみないかという依頼があった。
初めての文筆の仕事を喜んで引き受けた僕は、
そのタイトルをなんてつけたらいいものか、としばらく悩んでいたのだが、、、、
そんな脳裏に、ふとしたきっかけで、この数年前の呪文が蘇った。
「タマテックタマテックタマテック、、、タマでテックだよタマテック、
イラでテックだよイラテック」
こうして世の中にイラテックという言葉が生まれた。
コラムのタイトルはめでたく「イラテック」と命名されたのだった。

そのまた数年後、今度は会社を設立した時のこと、
このネーミングを気に入っていた僕は、その社名もイラテックにしてしまったというから勢いとは恐ろしい。
今度は株式会社イラテックの誕生である。

今でこそ、アイテー系だのベンチャー系だので掃いてすてるほどある○○テックという社名ではあるが、
26年前の当時はそんな名称はほとんどなく
「イラテック?、なんです、それ?」と結構みんなに言われたものだった。
上記の雰囲気を説明するのも面倒なので、ほとんど笑ってごまかしてきたのだが、、、。

さて、そんなこんなで数十年、、、
あのときゴーカートに乗りつつ、頭の中にふと浮かんだ言葉が
こうして今でも社名として残っていて、
電話に出るときなんかに「はいイラテックでーす」とかいってまだ使われている。
なんだか、ちょっと不思議。
ま、でも、ネーミングの由来なんて意外にこんなもんです、というのが、今回のお話。
お粗末。


、、ところが、この話には少し続きがあって、、、、

先日テレビを見ていたら、多摩テックがなくなってしまうというニュースが流れてきて驚いてしまった。
なんでも今月いっぱいで48年間の歴史に幕を下し、閉園してしまうらしい、、、。
閉園を惜しむ昭和の子供たちが、今度は自分たちの子供たちを連れて訪れ
なかなかのにぎわいを見せているというのがニュースの内容だった。

なんだか、ちょっと、寂しい気がするのは僕だけではないようだ。

さようなら、タマテック、、、君の無き後はイラテックが、きっと守っていくからね、、、
安心しておやすみ、、、、、。

なにを守るんだか、よくわかんないんだけれど、、、。


これが宝島1980年8月号に掲載された音楽コラム「イラテック」の第一回目

2009/09/17

山の上の月

誰もが、なんの策略もめぐらさず、
そんなにたいした苦労をすることもなく、
年に一度は必ず得られるものの一つに、誕生日がある。
ありがたいことです。

もちろん、その誕生日を得るきっかけとなった数十年前の夜には
両親の間でなんらかの策略とそれなりの苦労があったのかは、知らないけれど、、、ね。

さて、もう10日も過ぎてしまって、今更ブログの話題でもないのだけれども、
そんな誕生日を今年もなんとか無事に得ることが出来た。
本当はそれだけでもずいぶん感謝すべきことなんだけれども、
朝起きたらあまりに良い天気なもんだから急に思い立ち、
寝不足の2号に無理を言って、急場仕立ての小旅行に付き合ってもらった。

という訳で誕生日の夜は
丹沢の山の上で迎えた。

母親の話によると、僕が生まれたのは夜の8時過ぎだったとのこと。
ちょうどそのくらいの時間に
ふと夜空を見上げる。

見上げると、月がきれい。

ありがたいこってす。


写真を撮ろうとすると月にムラ雲が、、、

2009/09/04

ジャングル大帝

7月に公開された「MW」、10月に公開されるハリウッドCG版鉄腕アトムの「ATOM」、
それから今週末、フジテレビで放送されるアニメ「ジャングル大帝」と、
たてつづけに手塚治虫作品がリメイクされ、話題を集めている。
手塚ファンとしてはうれしいばかりではないだろうか。

さて、その「ジャングル大帝」、、、。
僕には、数ある手塚治虫作品の中でも、「ジャングル大帝」にちょっとした思い入れがある。
というのも、ある時期、この「ジャングル大帝」という作品と、けっこう長い時間、面と向かって付き合っていたからなのだった。
レオと向き合い一年半。

つーと、ちょっと、なんかもったいつけているが、
実は、「ジャングル大帝」を題材にしたゲームの仕事を、1年半にわたってやっていたことがあるのだった。
一年半というけっこう長い期間、レオのことや、トミーのことや、ココのことや、パンジャのことや、サバンナのことや、ジャングルのことや、フラミンゴのことや、マンドリルのことや、ムーン山のこと、、、
そんなこんなを頭に描き続けていたような思い出がある。

ゲームはN社から発売される予定であった。
だが、ちょうどその時期、様々なゲーム機のプラットフォームが次々に現れては消えるという過度期だったことも一因して、なかなかうまく開発が進まず、結局そのゲームは完成を見ることもなく中断してしまった。
僕はそのゲームのアートディレクション、キャラクターの設定や、
背景デザインなどなどを担当していて、結構いろいろと面白いことをやらせてもらっていたのだが、
それらは結局、日の目をみることなく終わってしまった。
うーーーーん、今、考えてもちょっと残念、、、。
その時の設定画とかをたまに見たりすると、なんかもったいないなあ、、、と思ってしまう。

ま、そんなことを思い出しつつ、、、、
明日放送の「ジャングル大帝」を楽しみにしている。
僕らがその開発に関わったゲームもそうだったけど、「ジャングル大帝」を題材にはしているものの、ぜんぜん原作とは違ったものになっているらしい。
それもまた、ある意味楽しみではある。



僕が当時描いていたレオのスケッチ、、、、でんでん、似てない、、、、

2009/09/01

イラ麦畑でつかまえます

今回のリニューアルにあたり、昔の仕事とかを整理していて、今更ながら「へええー」と感じいってしまった。
というのも、僕が最初にインターネットの仕事、今でいうウェブサイトの制作をやったのが1996年というから、じつに13年前のことになるらしい、、、。

13年スよ、13年。
おぎゃーと生まれた赤ン坊が、ニキビ面の中坊になって
「なあ、かあちゃん、小遣いくれよお、、くれなきゃ、オレグレちゃうからね、、」
といっぱしの不良ぶってスゴみ始めてもおかしくないような年月だ。
・・・・ああ13年。

その当時僕は、富士通の人工生命ソフト「TEO」のアートディレクションというのをやっていて、そのホームページ(当時はこう言いました)を制作したのが、このネットの大海原に漕ぎ出した最初の体験ということになる。ざっぱあーん。
たぶん、その計画や作業自体の立ち上がりは95年くらいから始まったんだと思うけど、なんせウェブ制作は初めてだし、何をどうやっていいものかも分からないわ、その時代まだ周りに助言をもとめられる人もいないわで、当初は本当に苦労した。
たぶん、苦労したんだろうと思う。
したに違いない、、、、。

と、ついつい、うやむやになっちゃうんだけれど、、、、
というのも本当のことを言うと、そのへんの記憶があいまいで、あんまし苦労したという記憶はないのでした。

ただ、それよりも、新しいメディアに挑戦するというわくわくした感じ、新しい時代が始まろうとしているキラキラ感は、実によく覚えている。
なんせ、昔から新しいものが大好きなのだ。
「これからはインターネットだっ!!」と、かなり入れ込んで盛り上がってたんではないかと思う。
それが証拠にその勢いで同年、次々とホームページ制作の仕事に携わっている。
音楽事務所アミューズのホームページ立ち上げに関わり、その年の11月3日には、現在も続く仕事になる手塚治虫公式サイトもオープンさせている。

で、そんなこんなで13年。
ネットの世界もムチャクチャ、様変わりしてしまいました。
牛が道端で草を食んでいるような牧歌的な農村地帯が、いきなり、縦横に高速道路が走り摩天楼が天をつく未来都市へと変貌しちゃったみたいな感じ。
もうあんまり、道端でのんびり立ち話をしているような時代ではなくなってしまったのね、きっと。

さて、のっけから、ホコリをかぶったような昔話で恐縮です。

でも、せっかくサイトもリニューアルし、長年やらなければ、、、と思い続けてきた作品のアーカイブ化、ネット上での公開も始めたばっかりなので、このブログではそんな過去の仕事にかかわる昔話も、どんどん書いていこうと思っています。
昔ながらの道端でのんびりと立ち話をしてるような感じで、、、、。

それに今書いておかないと、僕も、どんどん、忘れちゃうからねえ、、、。


前述の理由から、というわけでもないのですがリニューアル一発目のトップ画像は、のどかな夕暮れの風景写真。撮影は私。
トップの画像もこれから、どんどん変えていきます。

2009/01/01

あけましておめでとうございます


みなさま明けましておめでとうございます。
ものすごく久し振りの書込みですが、とりあえずのお年始ということで。
本年もよろすく。

イラ

2007/07/02

ありがとうございました


撤収も終わって一段落です。

また、なんかやりますんで、皆さん懲りずにまた遊びに来てくださいね。

2007/06/04

チーフタンズ

先日、bunkamuraオーチャードホールにおいて、チーフタンズのライブを見た。

チーフタンズは結成45年(!)というメチャメチャに息の長い、アイルランドのまさに国宝級バンド。
9度目の来日になるという今回まで、なぜだかずっと機会を逃していて、そのライブを見る事ができないでいた。
でもついに!やっと念願がかなって、その演奏をナマで聴くことができたのだ。
くーーーーっ!じつに感激である。

僕が、チーフタンズの音楽に初めて触れたのは、もう30年以上も前のことになるだろうか。
スタンリー・キューブリックの映画「バリー・リンドン」に流れる「アイルランドの女」の甘く切ないメロディーに強烈に魅かれたのが、最初の邂逅だった。
早速サウンドトラック(ちなみに、この映画音楽はその年のアカデミーを受賞した)を買い求め、
聴き続け、以来そのメロディーはずっと僕の頭の片隅に住みついていく事になる。
ところがその当時、アイルランド音楽やケルトミュージックに関する情報は、ほとんど全くという程得ることが出来なかった。
そんな訳で、僕がチーフタンズの存在や、それがアイリッシュ・トラッドと呼ばれる音楽だと知るようになるのは、その一年後、コアな音楽ファンのたまり場であり情報発信地でもあった輸入レコード専門店でアルバイトを始めてからの事だった。1976年のことだ。

たしか当時の情報では明確にアイリッシュ音楽というモノは独立しておらず、アメリカン・フォーク・ミュージックに対して、そのルーツとなる英国系伝統音楽としてひとつにまとめられ、総称して「トラッド」と呼ばれていたように思う。
伝統音楽をふまえつつも、エレクトリック楽器を使いロック寄りな表現をしていたフェアポート・コンベンションや、ジャズ系のペンタングルなんかも、このくくりの中に一緒にされていたと記憶している。
ま、そんな「トラッド」シーンの中で、チーフタンズこそが王道であり、主役であった。

さて、そんな感じでアイリッシュ・トラッドと出合った僕だが、チーフタンズ以外のミュージシャンもマメに聴きこんで、すっかりケルトマニアになってしまいましたとさ、、、といった感じで、このジャンルの音楽にのめり込んでいった訳でもない。
それどころか、その頃以後の、僕の音楽嗜好の変遷は、まさしく転がる石のごとくである。

ちなみに、その転がる石の軌跡をアバウトに追ってみると、、、。
バイト先のレコード店では、当初プログレ担当だった僕は、すぐにパンクにガツンとやられ、テクノに没頭し、スカに小躍りしながら、漫画家やイラストレータとしてのキャリアをスタートさせることになる
(今思うとかなりハズカシイが、テクノな漫画家など呼ばれた、きゃっ!)。
以後、パワーポップ、ニューロマンチック、エスノ、ダブ&レゲエ、ラップにスクラッチにヒップホップ、
サイケにファンクにトランス、ハウス、アンビエント、、、等などなどブラーブラーブラー。
じつに様々な形容詞とジャンル名(?)を冠されて、現れては消えていった様々なスタイルの音楽に、僕は次々に熱中していった訳である。

閑話休題、ライブの話に戻すと、、、。

始まるや否や、僕はもう感激のあまり泣きそうになってしまった。
「おお、チ、チーフタンズが目の前で動いてるううう、ありがたやありがたやああ、、、」状態。
その感激は早くも、前半中ほどでピークを迎えた。
パディ・モローニが奏でるホイッスルによって「アイルランドの女」が演奏されたのだ。
うーーーん、30数年ものあいだ、熱い思いを抱きつ続けてきたあの音楽が、まさしく今目の前で演奏されているうぅ。くわあぁぁー、たまらーん。

改めて思う。 僕が様々な音楽を追い続け、あてもなくさまよっていた「なん十年」ものその間、、、、
その間チーフタンズは、ずっとチーフタンズだった。
彼らは、彼らの音楽をずっとひたむきに続けていたのだった。
当たり前のコトかもしれないが(当たり前かな?)その事自体が、ものすごく得がたいことと痛切に思う。
ああ、ほんとにチーフタンズがいてくれて良かったなあ、、、、しみじみ、、、。
まさしく、そんな感謝の念で胸をいっぱいにさせられたコンサートであった。

2007/03/04

冷蔵庫の話

冷蔵庫が壊れてしまった。突然なんの前触れもなしに故障してしまった。ある日、いつも通りペットボトルの水を飲んだら、あまり冷えていなくて少し不思議に感じてはいたのだが、次の日には冷凍食品がすべて溶けてしまっていて、それはもう冷蔵庫とは呼べないない只のうすらでかい箱になってしまっていた。あらら困った。早速修理の人に来てもらう。修理人は医者が注意深く患者の脈をとるように、冷蔵庫の脇にそっと手を当てしばらく様子をみてから断言した。
「これは、もうダメですね。完全にイカれています」
多少は予想をしていたのだが、一応の抵抗をしめしてみる。
「えーと、それは、つまり、もう寿命ってことですか?」
「その通りです」
「もう直らない、、、と」
「その通りです」
思えばこの冷蔵庫は、結婚して一年後、独身時代のアトリエタイプのワンルームから少し広めのマンションに引っ越した際に購入したものだから、かれこれもう13年前のものになる。修理人によると世の中のだいたいの冷蔵庫の寿命は10年程度という事で、うちの冷蔵庫は、まあまあそれなりにがんばった方なんではないか、という事らしい。念押しに、言葉を選んでもう一度聞いてみた。
「それは、つまり、天寿を全うして、完全にお亡くなりになったという事ですね」
修理人は少し考えるふりをしてから、やがて我が意をえたりと深くうなずいた。
口のはしには、満足そうな笑みが浮かんでいた。

後日、渋谷の某大量家電販店。ずらりと並んだピカピカの冷蔵庫軍に囲まれて3時間以上あれこれ迷ってへとへとになっている僕達がいた。
僕はどちらかというと、家電などを買い求める際にそんなに迷ったりする方ではない。ある程度までは雑誌やネットで下調べをすまし、かなりターゲットを絞ったうえで売り場に赴き、そして最終的に実物を見て決断をくだす、というわりにきっぱりとした買い物のしかたをする方だと思う。でも、今回ばかりはそう簡単にはいかなかった。なんせモノがモノだけに、文字通り“大きな”買い物だし、十数年に一度しか買わないものである。言い換えれば、残りの人生であと何回、冷蔵庫を買う事があるか、というくらいの買い物なのだ。大きさ、サイズはだいたい決まったのだが、えーと、A社のものは大きさのわりに容量が、、、B社のものは野菜室と冷凍室の位置がこれまでと違うけど、、、C社のものは見た目がイマイチ良くないなあ、、、、、うーん、、、、。

思えば、冷蔵庫を買う時というのは多くの場合、それまでのライフスタイルの大きな変化の時、という事に他ならないのではないだろうか。親元から独立して初めてのひとり暮し、就職による生活の変化、結婚、出産、子供の成長などなどなど、、、、。もちろんエクストラとして離婚、病気、破産なども起こりうる大きな変化の一つだ。否応なく訪れるこれら人生の節目節目で我々は、その変化に見合った冷蔵庫を買い求めることになる。事実売り場ではこれから新生活を初めるようなピカピカの若者や、二人の世界にどっぷり浸っているような新婚さんが、熱心にドアを開け閉めしたりして品定めしていた。

さて、僕はと言えば、東京に出てきて最初に買った「4畳半西日のあたる部屋用の小さな小さな冷蔵庫」以来、何回めの冷蔵庫購入ということになるのだろうか、、、。あれからいろんな事があった。実にさまざま事が、、、、、と、これまで歩んできた過去が、無用に脳裏をよぎる。
あっ!いかんいかん。感傷に浸っている場合ではない。今はとにかく、新しい冷蔵庫の選択に集中しなければ。うーん、えーと、A社かB社かC社か、あれ?D社もありなのお??、、、。

それから一週間後、我が家の玄関前の上空に新しい冷蔵庫が宙づりにされていた。搬入すべき台所が2階にあるため、クレーンで吊り上げて2階の窓から入れなければならなかったのだ(一度持ってきてもらったが階段では登りきらず、仕方なくクレーン車を手配しなおした。やれやれ)。
迷いに迷って購入した冷蔵庫は、技術の向上によって容量こそ増えたものの、お亡くなりになった先代とはサイズ的にも色味も、ほぼ同一のものになった。もとの冷蔵庫置き場におさまったその姿はとても見慣れたもので、ドアを開けてみるまでとても買い替えたとは思えない、という感じだ。
前述の言でいうと、われわれのライフスタイルには、そんなに大きな変化はみられなかった、ということか、、、。良くも悪くも、ね。

という感じで人生の節目でもありうる冷蔵庫の買い替えが無事行われた。余談ではあるけれど、奇しくもその日は、我々の14回めの結婚記念日でもあった。

2007/01/05

あけましー

2007年 明けましておめでとうございます。

今は石川県の羽咋市に来ています。

羽咋っていうと、知ってる人は知ってると思うんだけど、「UFOの町」として知られる、日本では有数のUFOスポットです。僕も新年早々、宇宙人と交信して「家内安全、商売繁盛」を願おうかな、、、等と思って、ここに来ているのでありました。

、、、というのは、まったくのウソでイラテック2号サトコの実家に新年のご挨拶に来ているのでした。

つー訳で、皆様、本年もよろしくお願いいたします。
今年の僕の抱負は、このブログをマメにアップすることかな、、、?