2009/09/04

ジャングル大帝

7月に公開された「MW」、10月に公開されるハリウッドCG版鉄腕アトムの「ATOM」、
それから今週末、フジテレビで放送されるアニメ「ジャングル大帝」と、
たてつづけに手塚治虫作品がリメイクされ、話題を集めている。
手塚ファンとしてはうれしいばかりではないだろうか。

さて、その「ジャングル大帝」、、、。
僕には、数ある手塚治虫作品の中でも、「ジャングル大帝」にちょっとした思い入れがある。
というのも、ある時期、この「ジャングル大帝」という作品と、けっこう長い時間、面と向かって付き合っていたからなのだった。
レオと向き合い一年半。

つーと、ちょっと、なんかもったいつけているが、
実は、「ジャングル大帝」を題材にしたゲームの仕事を、1年半にわたってやっていたことがあるのだった。
一年半というけっこう長い期間、レオのことや、トミーのことや、ココのことや、パンジャのことや、サバンナのことや、ジャングルのことや、フラミンゴのことや、マンドリルのことや、ムーン山のこと、、、
そんなこんなを頭に描き続けていたような思い出がある。

ゲームはN社から発売される予定であった。
だが、ちょうどその時期、様々なゲーム機のプラットフォームが次々に現れては消えるという過度期だったことも一因して、なかなかうまく開発が進まず、結局そのゲームは完成を見ることもなく中断してしまった。
僕はそのゲームのアートディレクション、キャラクターの設定や、
背景デザインなどなどを担当していて、結構いろいろと面白いことをやらせてもらっていたのだが、
それらは結局、日の目をみることなく終わってしまった。
うーーーーん、今、考えてもちょっと残念、、、。
その時の設定画とかをたまに見たりすると、なんかもったいないなあ、、、と思ってしまう。

ま、そんなことを思い出しつつ、、、、
明日放送の「ジャングル大帝」を楽しみにしている。
僕らがその開発に関わったゲームもそうだったけど、「ジャングル大帝」を題材にはしているものの、ぜんぜん原作とは違ったものになっているらしい。
それもまた、ある意味楽しみではある。



僕が当時描いていたレオのスケッチ、、、、でんでん、似てない、、、、

2009/09/01

イラ麦畑でつかまえます

今回のリニューアルにあたり、昔の仕事とかを整理していて、今更ながら「へええー」と感じいってしまった。
というのも、僕が最初にインターネットの仕事、今でいうウェブサイトの制作をやったのが1996年というから、じつに13年前のことになるらしい、、、。

13年スよ、13年。
おぎゃーと生まれた赤ン坊が、ニキビ面の中坊になって
「なあ、かあちゃん、小遣いくれよお、、くれなきゃ、オレグレちゃうからね、、」
といっぱしの不良ぶってスゴみ始めてもおかしくないような年月だ。
・・・・ああ13年。

その当時僕は、富士通の人工生命ソフト「TEO」のアートディレクションというのをやっていて、そのホームページ(当時はこう言いました)を制作したのが、このネットの大海原に漕ぎ出した最初の体験ということになる。ざっぱあーん。
たぶん、その計画や作業自体の立ち上がりは95年くらいから始まったんだと思うけど、なんせウェブ制作は初めてだし、何をどうやっていいものかも分からないわ、その時代まだ周りに助言をもとめられる人もいないわで、当初は本当に苦労した。
たぶん、苦労したんだろうと思う。
したに違いない、、、、。

と、ついつい、うやむやになっちゃうんだけれど、、、、
というのも本当のことを言うと、そのへんの記憶があいまいで、あんまし苦労したという記憶はないのでした。

ただ、それよりも、新しいメディアに挑戦するというわくわくした感じ、新しい時代が始まろうとしているキラキラ感は、実によく覚えている。
なんせ、昔から新しいものが大好きなのだ。
「これからはインターネットだっ!!」と、かなり入れ込んで盛り上がってたんではないかと思う。
それが証拠にその勢いで同年、次々とホームページ制作の仕事に携わっている。
音楽事務所アミューズのホームページ立ち上げに関わり、その年の11月3日には、現在も続く仕事になる手塚治虫公式サイトもオープンさせている。

で、そんなこんなで13年。
ネットの世界もムチャクチャ、様変わりしてしまいました。
牛が道端で草を食んでいるような牧歌的な農村地帯が、いきなり、縦横に高速道路が走り摩天楼が天をつく未来都市へと変貌しちゃったみたいな感じ。
もうあんまり、道端でのんびり立ち話をしているような時代ではなくなってしまったのね、きっと。

さて、のっけから、ホコリをかぶったような昔話で恐縮です。

でも、せっかくサイトもリニューアルし、長年やらなければ、、、と思い続けてきた作品のアーカイブ化、ネット上での公開も始めたばっかりなので、このブログではそんな過去の仕事にかかわる昔話も、どんどん書いていこうと思っています。
昔ながらの道端でのんびりと立ち話をしてるような感じで、、、、。

それに今書いておかないと、僕も、どんどん、忘れちゃうからねえ、、、。


前述の理由から、というわけでもないのですがリニューアル一発目のトップ画像は、のどかな夕暮れの風景写真。撮影は私。
トップの画像もこれから、どんどん変えていきます。

2009/01/01

あけましておめでとうございます


みなさま明けましておめでとうございます。
ものすごく久し振りの書込みですが、とりあえずのお年始ということで。
本年もよろすく。

イラ

2007/07/02

ありがとうございました


撤収も終わって一段落です。

また、なんかやりますんで、皆さん懲りずにまた遊びに来てくださいね。

2007/06/04

チーフタンズ

先日、bunkamuraオーチャードホールにおいて、チーフタンズのライブを見た。

チーフタンズは結成45年(!)というメチャメチャに息の長い、アイルランドのまさに国宝級バンド。
9度目の来日になるという今回まで、なぜだかずっと機会を逃していて、そのライブを見る事ができないでいた。
でもついに!やっと念願がかなって、その演奏をナマで聴くことができたのだ。
くーーーーっ!じつに感激である。

僕が、チーフタンズの音楽に初めて触れたのは、もう30年以上も前のことになるだろうか。
スタンリー・キューブリックの映画「バリー・リンドン」に流れる「アイルランドの女」の甘く切ないメロディーに強烈に魅かれたのが、最初の邂逅だった。
早速サウンドトラック(ちなみに、この映画音楽はその年のアカデミーを受賞した)を買い求め、
聴き続け、以来そのメロディーはずっと僕の頭の片隅に住みついていく事になる。
ところがその当時、アイルランド音楽やケルトミュージックに関する情報は、ほとんど全くという程得ることが出来なかった。
そんな訳で、僕がチーフタンズの存在や、それがアイリッシュ・トラッドと呼ばれる音楽だと知るようになるのは、その一年後、コアな音楽ファンのたまり場であり情報発信地でもあった輸入レコード専門店でアルバイトを始めてからの事だった。1976年のことだ。

たしか当時の情報では明確にアイリッシュ音楽というモノは独立しておらず、アメリカン・フォーク・ミュージックに対して、そのルーツとなる英国系伝統音楽としてひとつにまとめられ、総称して「トラッド」と呼ばれていたように思う。
伝統音楽をふまえつつも、エレクトリック楽器を使いロック寄りな表現をしていたフェアポート・コンベンションや、ジャズ系のペンタングルなんかも、このくくりの中に一緒にされていたと記憶している。
ま、そんな「トラッド」シーンの中で、チーフタンズこそが王道であり、主役であった。

さて、そんな感じでアイリッシュ・トラッドと出合った僕だが、チーフタンズ以外のミュージシャンもマメに聴きこんで、すっかりケルトマニアになってしまいましたとさ、、、といった感じで、このジャンルの音楽にのめり込んでいった訳でもない。
それどころか、その頃以後の、僕の音楽嗜好の変遷は、まさしく転がる石のごとくである。

ちなみに、その転がる石の軌跡をアバウトに追ってみると、、、。
バイト先のレコード店では、当初プログレ担当だった僕は、すぐにパンクにガツンとやられ、テクノに没頭し、スカに小躍りしながら、漫画家やイラストレータとしてのキャリアをスタートさせることになる
(今思うとかなりハズカシイが、テクノな漫画家など呼ばれた、きゃっ!)。
以後、パワーポップ、ニューロマンチック、エスノ、ダブ&レゲエ、ラップにスクラッチにヒップホップ、
サイケにファンクにトランス、ハウス、アンビエント、、、等などなどブラーブラーブラー。
じつに様々な形容詞とジャンル名(?)を冠されて、現れては消えていった様々なスタイルの音楽に、僕は次々に熱中していった訳である。

閑話休題、ライブの話に戻すと、、、。

始まるや否や、僕はもう感激のあまり泣きそうになってしまった。
「おお、チ、チーフタンズが目の前で動いてるううう、ありがたやありがたやああ、、、」状態。
その感激は早くも、前半中ほどでピークを迎えた。
パディ・モローニが奏でるホイッスルによって「アイルランドの女」が演奏されたのだ。
うーーーん、30数年ものあいだ、熱い思いを抱きつ続けてきたあの音楽が、まさしく今目の前で演奏されているうぅ。くわあぁぁー、たまらーん。

改めて思う。 僕が様々な音楽を追い続け、あてもなくさまよっていた「なん十年」ものその間、、、、
その間チーフタンズは、ずっとチーフタンズだった。
彼らは、彼らの音楽をずっとひたむきに続けていたのだった。
当たり前のコトかもしれないが(当たり前かな?)その事自体が、ものすごく得がたいことと痛切に思う。
ああ、ほんとにチーフタンズがいてくれて良かったなあ、、、、しみじみ、、、。
まさしく、そんな感謝の念で胸をいっぱいにさせられたコンサートであった。

2007/03/04

冷蔵庫の話

冷蔵庫が壊れてしまった。突然なんの前触れもなしに故障してしまった。ある日、いつも通りペットボトルの水を飲んだら、あまり冷えていなくて少し不思議に感じてはいたのだが、次の日には冷凍食品がすべて溶けてしまっていて、それはもう冷蔵庫とは呼べないない只のうすらでかい箱になってしまっていた。あらら困った。早速修理の人に来てもらう。修理人は医者が注意深く患者の脈をとるように、冷蔵庫の脇にそっと手を当てしばらく様子をみてから断言した。
「これは、もうダメですね。完全にイカれています」
多少は予想をしていたのだが、一応の抵抗をしめしてみる。
「えーと、それは、つまり、もう寿命ってことですか?」
「その通りです」
「もう直らない、、、と」
「その通りです」
思えばこの冷蔵庫は、結婚して一年後、独身時代のアトリエタイプのワンルームから少し広めのマンションに引っ越した際に購入したものだから、かれこれもう13年前のものになる。修理人によると世の中のだいたいの冷蔵庫の寿命は10年程度という事で、うちの冷蔵庫は、まあまあそれなりにがんばった方なんではないか、という事らしい。念押しに、言葉を選んでもう一度聞いてみた。
「それは、つまり、天寿を全うして、完全にお亡くなりになったという事ですね」
修理人は少し考えるふりをしてから、やがて我が意をえたりと深くうなずいた。
口のはしには、満足そうな笑みが浮かんでいた。

後日、渋谷の某大量家電販店。ずらりと並んだピカピカの冷蔵庫軍に囲まれて3時間以上あれこれ迷ってへとへとになっている僕達がいた。
僕はどちらかというと、家電などを買い求める際にそんなに迷ったりする方ではない。ある程度までは雑誌やネットで下調べをすまし、かなりターゲットを絞ったうえで売り場に赴き、そして最終的に実物を見て決断をくだす、というわりにきっぱりとした買い物のしかたをする方だと思う。でも、今回ばかりはそう簡単にはいかなかった。なんせモノがモノだけに、文字通り“大きな”買い物だし、十数年に一度しか買わないものである。言い換えれば、残りの人生であと何回、冷蔵庫を買う事があるか、というくらいの買い物なのだ。大きさ、サイズはだいたい決まったのだが、えーと、A社のものは大きさのわりに容量が、、、B社のものは野菜室と冷凍室の位置がこれまでと違うけど、、、C社のものは見た目がイマイチ良くないなあ、、、、、うーん、、、、。

思えば、冷蔵庫を買う時というのは多くの場合、それまでのライフスタイルの大きな変化の時、という事に他ならないのではないだろうか。親元から独立して初めてのひとり暮し、就職による生活の変化、結婚、出産、子供の成長などなどなど、、、、。もちろんエクストラとして離婚、病気、破産なども起こりうる大きな変化の一つだ。否応なく訪れるこれら人生の節目節目で我々は、その変化に見合った冷蔵庫を買い求めることになる。事実売り場ではこれから新生活を初めるようなピカピカの若者や、二人の世界にどっぷり浸っているような新婚さんが、熱心にドアを開け閉めしたりして品定めしていた。

さて、僕はと言えば、東京に出てきて最初に買った「4畳半西日のあたる部屋用の小さな小さな冷蔵庫」以来、何回めの冷蔵庫購入ということになるのだろうか、、、。あれからいろんな事があった。実にさまざま事が、、、、、と、これまで歩んできた過去が、無用に脳裏をよぎる。
あっ!いかんいかん。感傷に浸っている場合ではない。今はとにかく、新しい冷蔵庫の選択に集中しなければ。うーん、えーと、A社かB社かC社か、あれ?D社もありなのお??、、、。

それから一週間後、我が家の玄関前の上空に新しい冷蔵庫が宙づりにされていた。搬入すべき台所が2階にあるため、クレーンで吊り上げて2階の窓から入れなければならなかったのだ(一度持ってきてもらったが階段では登りきらず、仕方なくクレーン車を手配しなおした。やれやれ)。
迷いに迷って購入した冷蔵庫は、技術の向上によって容量こそ増えたものの、お亡くなりになった先代とはサイズ的にも色味も、ほぼ同一のものになった。もとの冷蔵庫置き場におさまったその姿はとても見慣れたもので、ドアを開けてみるまでとても買い替えたとは思えない、という感じだ。
前述の言でいうと、われわれのライフスタイルには、そんなに大きな変化はみられなかった、ということか、、、。良くも悪くも、ね。

という感じで人生の節目でもありうる冷蔵庫の買い替えが無事行われた。余談ではあるけれど、奇しくもその日は、我々の14回めの結婚記念日でもあった。

2007/01/05

あけましー

2007年 明けましておめでとうございます。

今は石川県の羽咋市に来ています。

羽咋っていうと、知ってる人は知ってると思うんだけど、「UFOの町」として知られる、日本では有数のUFOスポットです。僕も新年早々、宇宙人と交信して「家内安全、商売繁盛」を願おうかな、、、等と思って、ここに来ているのでありました。

、、、というのは、まったくのウソでイラテック2号サトコの実家に新年のご挨拶に来ているのでした。

つー訳で、皆様、本年もよろしくお願いいたします。
今年の僕の抱負は、このブログをマメにアップすることかな、、、?

2006/11/13

伊豆から帰ったら事務所移転

FELIZさんのサイトの後すぐに、メンズウェアのGOOD MEN WEARさんのサイトを引き続き制作、ドトーのごとき連日の作業で、なんとか予定通り11月1日にオープンさせた。

で、両サイトの残作業がひとくぎりついたので、FELIZさんのご招待で修善寺のオーベルジュへ行ってきた。
料理も部屋も、2ヶ月前に行った時とは違い、ほぼ完成されていて、おいしいスペイン料理に大満足させてもらった。この前ニュース番組で紹介されたこともあり、順調に予約もはいっているそうだし、サイトの方も大好評という事で、素直にうれしー。

さて修善寺に一泊した後、ついでだから骨休めにと、川津温泉にもう一泊、帰りには伊東で温泉とマッサージ、熱海で寿司食って、、、と、なかなか、秋の伊豆を堪能した。

さて、帰ってきたら、またまたお仕事が待っている。
Tプロのサイトリニューアル案件。年末までは、こんな感じで忙しいのが続きそうだな、やっぱり。

で、そんな忙しい最中、延ばし延ばしにしていた、事務所の引越しをついに今月末に行うことにした。
詳しいことは、また、お知らせしますが、仕事の合間をぬって引越しの準備と、これまたバタバタの日が続きそう、、、。

2006/10/09

休日通信2

でもって、フェリス・サイトをやりつつ、もうひとつやっていたのが「NHKデータ放送PRサイト」のイラスト仕事。
変わってこちらは、肩の力をぬいたコミックタッチのイラスト仕事(スケジュールはタイトだったけど)で、なんか一昔前は、こんなのを「週刊プレイボーイ」や「ポップティーン」によく描いていたなあ、、、等と思い出したりなんかして。

写真は、おととい用事で羽田に向かう際、首都高から見上げた東京タワー。あんまり天気が良くてキレイなもんで思わず撮っちゃいました。なんか、この絵も休日っぽいでしょ。

休日通信


オーベルジュからの眺め

目覚まし時計をかけないでたっぷりと眠って、起きぬけに熱いコーヒーを飲みながら、たまたま放送していた好きな映画「ライフ・アクアティック」をぼんやりと眺める。
となりの古いアパートでは、老人が「木遣り唄」を朗々と歌い、僕は部屋でニック・デカロの「イタリアン・グラフィティ」を聴く。いつもいつも、見慣れた身の周りものや部屋の空気が、少しだけ目新しく感じる。

うーん、これが休日ですよ。

思えばこの夏以後、公私共にかなりな感じで忙しく、とくにここ一ヶ月はカンヅメ状態で仕事をしていたため、こんなにのんびりしたのは久しぶりのことなのだ。

何で忙しかったのかと言うと、ひとつは、2号サトコも記している「オーベルジュ・フェリス」のサイト制作。このサイト制作にはなんだかんだと、もう1年以上携わってきたことになる。

サトコも書いているように恵比寿の仕事場の階下にあったスペインレストラン「Feliz」さんとは、2000年に仕事場を移転して以来、いつもお世話になったりなられたりの懇意な関係を続けてきた。その「Feliz」オーナーシェフの谷田部さんからホームページの制作依頼をうけたのが、多分昨年の夏前だったと思う。氏の中で今日の修善寺オーベルジュの構想が明確になってきた頃だろう。

サーバをセッティングし、とりあえずのプレページをアップしたのがちょうど1年前の10月。その後オーベルジュは12月に地鎮祭を行い、急ピッチで建設が進められていった。

こちらサイドの作業が始まったのは4月あたりか。ちょうど桜の季節に修善寺の建設現場まで出掛けて行き、その見事なロケーションと、そこに現れようとしている斬新なデザインの建築物の両方に、正直かなり驚かされた。マーベラス!これらのイメージをもとに、サイトの構想はもとより、まずこのオーベルジュ自身にお似合いのロゴを作らなければと、早速制作にとりかかったのだった。

さて、それから半年。
9月のオーベルジュのオープンには諸事情により間に合わなかったものの、およそ一月遅れでサイトの方もやっとグランドオープンにこぎ付ける事ができた。
当初はスタイリッシュでありながらシンプルで機能的なサイトをと構想を立てて、その方向で作業をすすめていたのだが、その途中、谷田部シェフの「もっとイラさんのカラーを出して下さい」の一言に後押しされて、それまでの構想を全部捨てて、新たに作り直すことになった。
でも、そのおかげで、僕が数多く制作してきたウェブサイトの中でも、かなり気に入ったものが出来たのではないかと自負している。
谷田部さん、ありがとう。あなたのひと言のおかげです。

さて、そんな感じで出来たサイトです。皆さんも一度、ぜひ見てみてください、よろしく。
http://www.grupo-feliz.com/
もちろん、オーベルジュ・フェリスもよろしくね。